和歌山市 岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C57 119」と「和歌山軌道321号」について【思ひ出車輌】
桜舞い散る和歌山城の岡口門から、三年坂通りを南へ渡ると岡公園があります。いつもここに来ると懐かしい気持ちが蘇ります。
和歌山市民から、愛され続ける岡公園です
和歌山城の南側にある「岡公園」は、和歌山市民なら一度は遊んだことがあるはずです。少し高くて「急角度の滑り台」が大人気で、何時も子供達の声がたえません。
また盤山「天妃山のテッペン」にも登ったのではないでしょうか?子供心に冒険気分になれましたね。裏の天妃池でのザリガニ釣りとか。
岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C57119」です
懐かしの蒸気機関車「C57シゴナナ」です。紀勢線全通の昭和三十四年に、和歌山機関区に配属。その頃の和歌山機関区には、6、61、78の姉妹機も一緒に居たそうです。
ワタシも幼少期に乗った記憶が(うっすらと)あります。ずいぶん興奮してSLの絵を書いた。確か賞まで貰ったので、この車輌をよく覚えていました。
紀勢線時代は特急「くまの」の牽引があり、集煙装置、重油併燃改造、ボイラ前端角化されて、以後紀勢線のSL廃止となる昭和四十八年まで活躍、退役後は岡公園にて美しく静態保存※されています。
<和歌山県内で保存されているC57車輌>
○C57-7号機、和歌山県田辺市、会津児童公園内
○C57-110号機、和歌山県橋本市、橋本運動公園内
○C57-119号機、和歌山県和歌山市、岡公園内
○貴婦人C57の勇姿✨をご覧下さい(昭和43年~47年撮影)
(※元国鉄和歌山機関区のOBである「田中一郎」さんが整備されています)
南海和歌山軌道「321号」、通称ちんちん電車
皆んなから愛された、通称ちんちん電車(南海和歌山軌道)の321号も、岡公園で一緒に保存されています。昔は和歌山市民の足として、また景勝地和歌の浦への観光路線として大活躍しました。
昭和四十六年三月三十一日、路面電車廃止の日。営業運転が終了後、さらに車輌留置のために空車にて回送された321号が0時25分、和歌浦口停留所へ到着。ここにすべての路面電車の運行が終了しました。
「和歌浦口」行き先表示されたまま、岡公園で時が止まっています。
保存車輌はここ岡公園と海南市にわずか二車輌が、残っているだけです(海南市、室山児童公園に322号がかろうじて残存)。他の車輌は和歌山の海の底に、漁礁として沈められ眠っています。これは愚かで悲しい“鉄道黒歴史”ですね。
▽在りし日の市電(和歌山軌道)の姿です(46年3月撮影)
新しく移築された「長屋門」で、岡公園の印象が少し変わった
岡公園の北東側。いまに残る紀州和歌山藩の中級武士の屋敷門です。白黒格子がらの海鼠壁が目を引きますね。なんだか妙に白くて新しくなった。
それもそのはず移築に伴い、新しい建材を使いリニューアルされていた。
和歌山城観光の最後に、ぜひお立ち寄りください。
懐かしい想い出もよみがえりますよ。
(1300文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう
ハマの番長こと「早乙女ニャンだのすけ」がやって来た!!和歌山 西脇漁港にて【猫にゃん】
漁港で“漁船の撮影”をしていた時のハナシです。夕方の柔らかな光と影、これはいいですねぇ。風もなく穏やかな天気で、こんなのを“明鏡止水”というのでしょうか。四字熟語は、何かよく分かりませんが。
それで“絵画っぽい感じの画”にしたくて、色々構図を考え撮影をしていたのですね。
鼻歌で名曲「冬のリヴィエラ」唄いながらだけど(笑)ナンダそれ、遠藤かよ。
♪「冬のリヴィエラぁぁ~ 男ってヤツはぁ~ 港を出てゆく船のようだね哀しければ 哀しいほどぉ~ 黙りこむぅもんだねぇぇぇ~」…オワリ。
我ながら“素晴らしい写真✨”が、撮れましたね! 自画自賛しとこ―。
ハマの番長「早乙女ニャンだのすけ」とは?!
次に漁船の船底が気になって、裏側を覗き込んでいたのです。するとですねぇ、突然向こうの方から、ドラ猫さんがとっとこ走って来るではないですか。
見ればなかなかの“オトコマエな面構え”をしていました。漁師町に相応しく、天下御免の向こう傷まで持っているぞ。こりゃ決め台詞は「天下御免の向こう傷、パッ!」だね。
とにかく迫力満点なヤンチャ系ドラ猫だったのです。
🐱「にゃんだ、にゃんだ~?」とっととトト…ピタ!うずくまり。
🐱「ふ~にゃ…たいくつで仕方がないにゃ」
しばらく何かを考え中のご様子。
🐱「ふにゃ!!お主、カメラマンにゃのか!!」
ワタシの手にしているカメラを見つけたようです。
🐱「眉間に冴ゆる三日月形、天下御免の向こう傷、ニャ!」
すると意を決したかのように、こちらに近ずいてきたニャンだのすけ。
🐱「羽川流 猫眼崩し! “回転ダブル猫パンチ” 一指し舞うにゃ~!!」
おおっ、凄いぞっこれが必殺技なのかっ?!
突如、回転するニャンだのすけ、ぐるぐるぐる🌀速くて追いつけない。
🐱 シュタッ!「ふぅぅ、決まったニャ…」
荒技を披露して疲労したのか、しばらく動かなかった。
なるほどそうか、思い出した一年前の記憶
「あぁ、お前かぁ?」やっと思い出しましたね。
このドラ猫はたしかローソンの駐車場でいた“トラとクロの子供”なんだ。
久しぶり、ずいぶん大きくなったねぇ。そうだったんだぁ。
その時の話は、こちらに書いています。 ↓↓↓
とにかく迫力満点な“港町ヤンチャ系ドラ猫”なのでした。
○マシュマロをやっていますよ。コメントをどうぞ↓↓↓
(1100文字、Thank you for reading.)
梯子獅子舞で有名な「木本八幡宮」神武東征まで遡ると云う歴史的な神社です。和歌山市 木ノ本【神社仏閣覚書】
今年の初詣は、和歌山市は木ノ本にある「木本八幡宮」にやって来ました。木本八幡宮は「厳橿山 (いつかしやま)」の中腹にあります。その麓には仮宮の「権殿(ごんでん)」があり、毎年ここで「木ノ本の梯子獅子」が行われることで、古くから信仰を集めた歴史ある神社です。
まず「日前國懸神宮の鎮座伝承」について
神代の歴史から。『紀伊国造家 旧記』によれば、“神武天皇の東征”にさいして「二種の銅鏡」をたずさえ「天道根命(あめのみちねのみこと)」が、紀州“加太浦”に上陸したと謂います。
そして加太よりこの地 木本へと銅鏡は移り、その後には琴ノ浦へ移ったことを、旧記は伝えています。さらにこの銅鏡は秋月にある「日前宮、國懸神宮の御神体」となりました。その流転の場所「加太浦」と「木本」は、それぞれ『加太 春日神社 和歌山市加太※』に、そしてこの地『木本八幡宮 和歌山市木ノ本』と、比定されています。
(※加太 春日神社の旧社殿は、南海加太駅の山の上にありました。)
また海南にある「琴ノ浦」は、毛見崎の付け根から広がっていた砂洲浜。対岸の冷水浦に向かって三メートル程の高さの大岩が立ち並び、波が打ち寄せて“琴の音”のように響いていたために「琴ノ浦」と名ずけられたという。『紀伊続風土記』によれば「日前 國懸 神宮」が鎮座した浜であるので汚穢不浄の者を近づけず、もしその禁を破らば「祟りがあった」と。現在は埋め立てられてその姿を変え「新日鉄住金の海南工場」と「関西電力の発電所」さらには、沖合に「マリーナシティ」が建っていますよ…これ、大丈夫なのでしょうか??
また『紀伊国造家 別伝』には、天道根命が「日前 国懸 両大神」を奉じて「淡路国 御原山」に天降り、芦毛の馬に乗って「加太浦→木本→毛見浦」へと遷った、とも謂伝えています。
この時に天道根命が「日前 国懸 両大神」を「厳橿山の橿の木の根本に祀った」のを起源であるとし、そこから神社名が「木本の宮」となり、そしてこの地名を「木ノ本」と名付けたといいます。
これは、木の根元に御神体を祀る、古代の神社の在り方が判りますね。
現在は厳橿山のふもと一帯に住宅街が広がりますが、往古は山麓直下まで海岸線が迫っていました。紀ノ川河口で天然の港でもあったこの場所に、社殿があったのですね。
確かにこの辺りは砂地の土地柄、なるほどと頷ける話です。
(出典元『國造家古き傳に「道根命」大神宮を奉じ“淡路國御原山」に天降り葦毛ノ馬にのりて「賀太」より來り「木ノ本」に到りてしばらく斎奉り又「毛見郷」に遷し奉り「國造大名草彦」の世にいまの宮地に遷し奉る時「木ノ本郷」御鎮座ノ地の土を運ひ來りていまの宮地に築き<中略>木ノ本山ともいふ社地に汚穢の物あれは其土を取棄て此山の土をめてきよむといふ』と記されている。『紀伊續風土記』より)
木本八幡宮に伝わる、神功皇后説話とは
誉田皇子(後の応神天皇)は忠臣 竹内宿禰とともに、この木本に上陸して“頓宮(仮宮)”を営み、“しばらく滞在して難を逃れた”という故事があります。
その後、欽明天皇の勅命により、その頓宮跡に“しばらく滞在した”ことに因んで「芝原(しばはら)八幡宮」が創建されました。
その謂れとなった話です。神功皇后が三韓征伐※を終えて都へ凱旋の途中、自分の誉田皇子の異母兄にあたる「香坂皇子、忍熊皇子」が畿内にて反乱を起こしたと聞きました。彼らは“誉田皇子の誕生”を知り、神功皇后らがこの“赤子を太子に推戴する”ことを察知し、東国から秘かに兵を集め挙兵したのです。
(※年代はいまだ確定していない。そのため神功皇后の活躍“三韓征伐のあった年代”およびその“史実の妥当性”についての研究が続いている。倭国が新羅をはじめ朝鮮半島に侵攻した記録は、朝鮮の史書『三国史記』新羅本紀や高句麗における『広開土王碑文』などにも記されており、2011年には新羅が倭の朝貢国であったと記されている『梁職貢図』が新たに発見されている。以上、ウキペディアより抜粋)
その忍熊皇子たちの動きを知った皇后は、いったん紀伊国に迂回して「誉田皇子をこの地に預け」また北上を開始した。それを知った忍熊皇子は、一度撤退して山背に陣を構えなおし“決戦の場”としました。
しかし、皇后軍の指揮を執る武内宿禰は謀略により、忍熊皇子をついに琵琶湖まで敗走させ、撃ち破ったのでした。
木本八幡宮と芝原八幡宮が合体したと云うのです
それから遙かに降った元和四年(1618年)「山中の木本・裾野の芝原」の両宮が、一体化して「木本八幡宮」と称するようになったといいます。
元和四年といえば、紀州徳川家 徳川頼宣公がお国入りした頃ですね。前代の権力者、豊臣秀吉の焼き討ちにより荒廃した社殿の復興支援した、ということでしょうか。栄枯盛衰繰り返し、いまがある、と。
謎すぎる“萬葉集の歌碑”があった
木本八幡宮の拝殿前に『萬葉集』の歌碑がある。斉明四年(658)に女帝の白浜行幸のお供をした額田王が「厳橿の木本の宮に参拝して作った歌」として歌碑を建てている。これは気になりますね。
額田王は謎のひと。生没年も不明、通説では大海人皇子(天武天皇)と結ばれて、十市皇女を生む。兄である中大兄皇子(天智天皇)にも愛されたらしい。その天智天皇の崩御により「壬申の乱」が起こる。
すると額田王は天智天皇の皇子である大友を見限り、大海人皇子についた。とにかくミステリアスな女性でした。
<巻一 第九番目>
『莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新可本』
…という難訓難解な歌なのです。昔から萬葉集の研究者からは“定説が無い句”と言われてきたのですが。これはもう、本気の暗号文カモ?!この歌碑には、下の句を「吾が背子が、い立たせりけん厳橿が本」とよむらしい、と書かれていました。
「う~ん、しかし何だか判りませんね。」
やはり「木ノ本獅子舞」が一番有名ですね
秋空の下、十月に例祭「梯子獅子」が執り行われます。近隣からも多くの人々が集まり、毎年賑わっています。一度ご覧になってみませんか?
木本八幡宮
主祭神 「応神天皇、神功皇后、日孁大神」
木本八幡宮は古より皇室、源氏、徳川家を始め、広く民衆にまで崇敬されています。
木本の獅子舞/2018年度の様子
○開催日 10月中旬
○開催場所 木本八幡宮 権殿前広場にて
○問い合わせ先 木本八幡宮(電話 073-451-5915)
(2800文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう
ついに私が「ブログ書きの真髄」を語る時がきたようだね。ぬはははのは【ブログ傾向】
ブログ初心者に“贈る言葉”言いたいアルアル、ブログ初心者に“贈る言葉”云いたいアルアル。ブログ初心者に“贈る言葉”いぃ~くよっ!
One・Two・Three、はいっ⇒『ブログは“タイトルと、書き出し”がすべてっ!』…オワリ。
<🐍蛇足コーナー>
カンタンに終わってもたがなぁ、かなんなぁホンマ、わかれへんちゅ~ねんキーボー、たのむでしかし…(横山やすし風)なるほど成程、これでは伊佐坂先生「あんまりぃ⤴︎」なので、もう少し続けますね。そう何故、「タイトルと書き出し」なのか??
タイトルつまんないと、誰にも見てもらえないよ
○「タイトルが大切ですか?」そう、ほとんどのヒトは「検索時にタイトルしか見てない」のです! “本でいえば背表紙”ですね。タイトルを“キャッチで煽り”まくってくださいっ!! 「キャッチコピー」こそ大切! オーディエンスに読まれたいならね。
「検索時にタイトルしか見てない!」
ならば⇒「キャッチィなタイトルでキメっ!」
○これがそのお馬鹿な例↓↓↓キャッチーですか。
曰く「書き出しさえ決まれば小説は、八割できたも同然」だそうだ
○例えば文豪の川端康成先生は、あの有名な『雪国』でこう始めた「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」ハイ、傑作決定!ノーベル賞いただきっ!こんな“凄い出だし”は見たことないね。ドッ♡キュ~ンだねっ!
この一文が「すべてを物語る」のであります。
もちろん、我々凡夫がおいそれと出来ることでは無い、それはそうなのですが。けれども「努力ポイント」であり下手な真似ぐらいは、まぁ…やれない事でもないでしょう?! 何事も“つかみ”は大切です。ブログは名文である必要はないのだから。
だからといって…
○ブログでよく見かける書き出し ⇒「皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは!○○で~す♪」と始まるヤツ。いったい誰に挨拶しとるんじゃコイツと、思ってしまう。やっすい漫才師じゃあるまいに、ハナからポチが尻尾振りまくりなのである。
「何事も“つかみ”は大切、名文の必要もない」
これ⇒「書き出しでぇ、キメキメっ!」
○これがそのチャレンジ例です↓↓↓なんか凄そう!
人間見た目が大切、まして匿名文章(ブログ記事)なら尚更に
○EX.さらにさらに蛇足くわえるなら、ブログに「写真」は必須だね。
そう「百聞は一見にしかず」とは良く出来た警句、“千の駄文よりも一葉の写真”が多くを物語っています。拙い文章を補完してくれるのが「写真orイラスト」面倒くさがらずにズババーンと、沢山挿入いたしましょう!
「百聞は一見にしかず、写真は必要です」
だいじ⇒「写真で“愛✨キャッチ”しませう」
○これが一例となるかな?!↓↓↓ 山のように写真ぶち込みました。
「はいっ、まだまだ伸びしろありますねっ!!」
○付記/自由ネコさんも同じこと言ってるの発見! 貼っておきます。参考に。
【ブログ論】個人的には「記事の出来は最初の数行で決まる」と思っている - 自由ネコ
(1300文字、Thank you for reading.)
「Dr.傘ドン・K・レクター(略称 Dr.K)氏 事件」人類ほぼ滅亡?!【Xファイル 未分類】
< Xファイル 未分類項目> -Top Secret-
「Dr.傘ドン・K・レクター(通称 Dr.K)」案件 調査報告書
>>出身地(推定)
みかん県 みかん山コロニー「🍊みかん星人=未完成人=明日ペルガ」
>>現在地(確定)
「天空の城 、空の木、太陽の道」などが、生息地域である。
>>エイリアンによるアブダクション経験
そのアブダクティでもある「Dr.K」は、子供の頃に連れ去られ「性的実験」や「インプラント」さらに「消された記憶」そして「納屋での人体実験」の様子を克明に語った。
>>その時のエイリアンの特徴としては、身長はやたらと低く、色白で黒目の瞳、耳たぶや唇などはとても小さかった。これは、地球外生命体の特徴を備えた「グレイタイプ B」であったらしい。
>>時間が経ってから「ようやく思い出す」というケースはUFO案件に数多く報告されている。アブダクトされたという“明白な記憶”はなくとも、成長するに従いやがて心身にさまざまな“サイン”が現れる場合が多い。
>>それは「やたら女好き」とか「さちりアジす」や「○○が異常なキノコマリオ状態」または「子羊たちの悲鳴 !!」などである。
>>以下リポートは、EEGによる記憶の回収「蘇った記憶」をもとに、時系列に沿って構成されたものである。しかし表現が不可解気味なのは「自閉症で、混み障で、明日屁」であると「Dr.K」自身が認めている。
>>オープニング:<SEASON ONE>
二匹のネズ公と二人のコビト
当時「二匹のネズ公」と「二人のコビト」は、それぞれ毎日“ラビリンス”を忙しく駆け巡っていました。そんなある日、大量の🧀チーズが置かれている「チーズ・ステーション2」なるものを偶然発見✨したのです。
その場所を最初に見つけたのは嗅覚の良い二匹のネズ公なのですが、どうやら「残念な頭の構造」だったようで、いつも自分のネグラから“バタスタバ”と走ってきます。
対して二人のコビトは、小賢いのでチーズ・ステーション2の近くに引っ越して、わざわざ早起きせずとも昼頃に起き、悠々とチーズ・ステーション2に行くのでした。
そしてある時、大事件が起こる!
「チーズ・ステーション2のチーズがすべてなくなっていた」のです。もちろん、突然なくなった訳ではなく「毎日二匹のネズ公と二人のコビトが、腹いっぱいチーズを食べていた」ので、みるみる減ってしまっただけの話なのです。でも最後の一個を食べたのは、いったい誰だ?!
>>参考資料①/みかん星人の性格とは…「ジト目で見てるだけ」
さて、迷探偵登場!
チーズ🧀ステーション2で、最後のチーズが“誰か”に食べられた。コビトAは「犯人はネズ公Bに違いない」と証言した。ネズ公Bとネズ公Cも、とある証言をした。
そして『犯人はA、B、Cのうちの誰か』『犯人だけが本当のことを言った』ということは解かったのだが。食べたのは誰なの?食べたの…誰?
コビトの怠惰で愚かなる日々
チーズがなくなってからの行動は、ネズ公とコビトで大きく異なっていました。
ネズ公は以前の生活どうりに、朝からラビリンスをムダに“ドタバタャ~ン”と駆け巡り、どこかにある新たなチーズを見つけようと盛んに活動をしています。
コビトたちはというと「🧀チーズはどこへ消えた?!」とか「アブダクション事件だ!」さらに「こんなことがあっていいわけない!」などと叫んでいるだけなのでした。
でも「今日はチーズがもとに戻っているに違いない」と“謎な期待”をもちながら、チーズ・ステーション2で「🧀チーズがないこと」を再確認するだけという、全くもって“実に愚かしい日々”が続いてゆくのです。
>>参考資料②/みかん星人の行動とは…「決して交わらない」
新たな展開「Dr.K」身の振り方
🧀チーズがまったく手に入らない日々が永く続く。ある日のこと、コビトの片われ「傘ドン・K・レクター(以下、通称Dr.K)」はとうとう「NEOチーズ」を探すべく、古いチーズ・ステーション2から「旅立つことを決意」しました。
実際のところ、この考えは必ずしも“Success”が約束されている訳ではないので「Dr.K」は、慣れ親しんだチーズ・ステーション2から離れるべきかどうか、いつまでも“ウジマッチャリ”と迷っていたのでした。
そして決断させたある出来事が起こった。それが何であったかは、いまもって不明ですが。やがて「Dr.K」は、堂々宣言する。
「人生は大河の一滴。進め!ひょっこりひょうたん島!」と。
そのかたわらで“呆然の相方”をしり目にそう言い残し、謎のラビリンスへと一目散に駆け出して行ったのでした。
「ばたばたびぃ~や♪サバら!」スタコラスタコラ…
>>参考資料③/みかん星人の人生とは…「無駄にまったりし過ぎ」
突然消えた「Dr.K」その後の行方は
そう「Dr.K」は、チーズステーションを探していく過程で…『たとえ新しいチーズが見つからなくても、いままでのチーズ・ステーション2にとどまっている生活より「はるかに気持イィ~♪」ことが“図画工作”できる』この可能性に、ハタと気付いたのです。
そして「Dr.K」は、ラビリンスを何度も駆け巡りながら「日々気づいたことをSNSに記録」し、とうとう“NEOチーズ・ステーション No.9”を不思議発見✨するのでした。
まったくもって「頭の中のネズ公二匹」のお陰だったのですが。それから…「行方不明になっていた相方」は実は「Dr.K」により「コンクリずめ(カイショ付き)コンポジション」Wow…!にされていたのでした。
以上、最終報告を終わります。 (署名/スカリン捜査官)
>>付記/みかん星人について
🍊ローカル3と呼ばれる「異次元に存在するミカン星」からやってきた。密かに地球侵略を企む宇宙人なのである。テレビにおいて、その存在が暴かれたのは平成四年「1992年11月2日に発見!」と、恒星日誌に記されている。
🍊単性世代(種無し)のまま成長し、接合子(珍古)を作ったときのみ有性世代となり、白い花を咲かせる。その際にみかんの種子に似た「極めて小さなミカン星人」を、空中にドッカーンとぶっぱなしその短い一生を終える。
🍊超高性能ミカン脳を持つ。知能指数は何と二万。しかしその知能が活かされることは全くない。過去に大戦争をし、悲しい記憶から「もう争いごとはやめよう」と遺伝子レベルで決定し、自ら平和主義思考を標榜しているらしい。ならば、なぜ地球侵略を企むのか?!
リンク/
>>推薦図書/チーズはどこへ消えた?
>>アニメ、チーズはどこへ消えた?/Who moved my cheese Full Movie - YouTube
(この記事は事実を元に構成した、フイクションです。2800文字、Thank you for reading..)