和歌山情報発信 Minminzemi-Jr

こんにちは!「Min1号」と「Min2号」のSeminarです。

真夏、恒例のお祭り「第51回 ぶんだら節 2019」と「第16回 おどるんや 紀州よさこい 2019」~和歌山城周辺~【夏祭り】

昭和四十四年に『紀州踊り ぶんだら節』が始まりました。また『紀州よさこい』は、平成十六年からのスタートです。いまや和歌山市おける“真夏の風物詩”となりました。

 

市民に愛され続ける、伝統あるお祭り『紀州踊り ぶんだら節』

 

紀州の夏の始まりを告げる、花火大会『港まつり』、紀州踊りの『ぶんだらぶし』と『 紀州よさこい祭り』は、和歌山市における「三大お祭りイベント」へと成長しました!

(※「夏の花火大会」の最初は、享保十八年のこと。疫病・大飢饉があり、亡くなった方々への慰霊と悪疫退散を祈念する「水神祭」その時に“打上花火”をあげたところから、夏のものと定着したらしい)

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ご存知、和歌山城です

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和歌山港まつり花火大会

紀州の偉人「紀伊國屋文左衛門」にちなんだ「紀州おどり」ですが、踊り子が和歌山城周辺を練り歩き、毎年大勢の人々で会場がにぎわっています。

そして「ぶんだら節」。この歌詞は、和歌山人なら皆んなが知っています。高校の体育祭で、ぶんだら節を“やらされた想い出”があるくらいだからね。<笑

 

♪ツレモッテ コイコイ ソリャ モッテ コイコイ

どんと乗りきる 遠州灘は ぶんだらぶって こい こい
おとこ花道 みかん船

ソリャ ヨイ ヨイ ドント ブンダラ ブッテ
コッチャ ムイテ コイ コイ ツレモッテ コイコイ

ドドント コイ コイ ヤレ イケ ソリャ イケ
ドント ドンント ドント シャン シャン シャン♪

 

ぶんだら節を文字に起こすと、まるで“謎な呪文”のようですが…まあこんな感じなのです。

○『正調ぶんだら節』の踊りの様子、けやき大通にて。

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今年(2019)のぶんだら節のトップ連は、地元アイドルの「Fun×Fam」が務めたそうです。そうだったのかぁぁぁ、知らなかった。

○「ぶんだら節」と「紀州よさこい」会場周辺地図(けやき大通、西の丸、砂の丸など)。

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和歌山城北「けやき大通」が会場となる

子供の頃から慣れ親しんだ「ぶんだら節」ですが、しかし今回は「紀州よさこい」のレビューがメイン、写真もたっぷり大盛りです。

 

さて、令和元年 八月三日・四日に開催「紀州 よさこい

ホントに熱い、暑い、お祭りでした!八月四日の日曜日に「紀州よさこい」に行きました。この日が最終日となります。パレード会場の「けやき大通」に到着したのは午後五時。もちろん暑さを考慮してですが、熱風が前から吹いて来ました。

『けやき大通り演舞場』

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「どん、どど~ん!!」

地方車のスーパーウーファが、ビルにガンガン響いています!警備員の方も暑さで、うなだれています。そして路面に熱風がドカドカ吹き抜けてゆく。

立ってるだけで汗が出てきます。こんな日は和歌山弁で『にってんこぼし』と云うそうですが。あの太陽が、地面にまで落ちてきたそんな感じですね。

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和歌山城北側、けやき大通

けやき大通パレード「華鹿」の皆さんの演舞が始まった。奈良県のチーム。メイク、衣装ともバッチリ決まっています!何より笑顔が明るいね。

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“水を差す”ようですが…< 気づいた問題点 >…“水を撒く”べきです。

 

この暑さ、散水車で打ち水💦ぐらい撒いたらいいのにね。ミストとかねイイな。あとね、地方車の排ガスが風に乗り顔に届く、コレは気持ち悪いよ。やはり地方車は「電動トラックを使うべき」だね。ホントそう思う。この場所に来る前には、救急車が走っていました。たぶん“熱中症の搬送”と思われますね。(小声)

 

さて「よさこい」とは、“夜さり来い”という古語から来た言葉だそうです。なのでこの祭りは「夜こそ本番!」なのです。真昼は演者も観客も、かなり辛いよね。

(※「夜さり」は“夜分とか今夜”という意味あいで、九世紀末から使われていた言葉。『さらに“夜さり”この寮にまうで来とのたまいて』竹取物語)

 

西日がキツくて逆光です。すこし撮影が厳しくなってきた。「仏喜踊」ぶきよう、四天王寺大学のチームです。演舞も抹香臭い日本の伝統をリスペクト!したものになってますね。

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この大旗の捌き方も重要なポイントとなります。

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おどるんや「紀州 よさこい祭り 2019」まつりのルーツは、高知県にある。土佐『よさこい祭り』の始まりは、戦後の傷も癒えぬ高知県民を元気づけようと、昭和二十九年から始まったそうですよ。さて、次は「日赤 おどり隊」の皆さんの演舞。

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「赤傘の師匠連」が気になります!まさかのスゴ技を、炸裂させるのでしょうか?

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さぁ、和歌山城をバックに止まったぞ。

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あ、なるほど、そう来るか。ふつーでした。

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次は、アピール抜群「てんてらてん」の皆さんの演舞です。チームカラーで統一した衣装「コスプレ」は、よさこいの見所のひとつですね。

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はい、カメラ👀目線ありがとう!

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奇抜な衣装、メイクで踊りまくる、まさに傾奇者!自己表現することの大切さが伝わって来ます。お子ちゃまだって参加してるよ!子供よさこい「チーム・パエリア」

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元気炸裂!センターの元気印の娘に、メダルをあげたい!

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これは、未来を感じさせる演舞ですね。

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気になったのは、沿道観客の少なさ。もちろんこの「暑さ」に耐えられないからだと思う。わたしも既に、汗でぐっしょりなりました。

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水分補給のため一時後退。でも、もったいないよなぁ、素晴らしい演舞やってるのにさ。日没時ですね、この時は。多慌てでカメラデータを仕込み直したらアンダーに落ちちゃった。さて、ここで。少し調べてみました「土佐のよさこい」のはなしです。


土佐のよさこい祭り、その始まりのはなし

 

土佐『よさこい祭り』の始まりは、不景気を吹き飛ばし市民を元気づけようと、昭和二十九年に「高知県で始まったお祭り」でした。「第一回よさこい祭り」の参加人数はわずか750人、参加団体は 21団体だったという。

それがいまでは、八月中旬に踊り子が華やかな衣装に身を包み、150団体、約一万六千人が乱舞する「土佐を代表するお祭り✨」に成長しました。

引用文『土佐よさこい祭りは、毎年八月九日の前夜祭を皮切りに十・十一日は鳴子踊りの本番、十二日には後夜祭とよさこい全国大会(※和歌山からも数チームが参加します)が開かれます。また九日には、鏡川河畔で華麗な花火大会も開催されます』(高知市観光協会HPより)

今年も高知城下を舞台に「情熱のよさこい祭り」が始まります。

そしてこの祭りは、高知から日本の各地へと拡がり、さらに海外でも開催されているそうです。とても素晴らしいお祭りに成長しました。

○フランスはパリでのよさこい“HINODEMAI”です! 曲目は何と、パリジャンが『Agara』♪

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○余計なハナシ/むかしより、土佐の女性は「はちきん」といわれている。経験上、とんでも無く“ウワバミ”なのでなかなか油断がなりません! そして肉好き系(何故?)が多いような気が…何でも、男には二個しかないモノが、八つも「金○」持っちょると…八金。

「舐めたらいかんぜっ」例えば『竜馬がゆく』の龍馬姉「乙女姉やん」を想い描いて頂くと…まあ、そんな感じですかね。

 

ドン、ドンドン、ドン…

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エイサー隊がやってきた

エイサーの太鼓が近ずいてきた。伝統オキナワの盆踊り?いや先祖供養なのかな?この独特の動きとリズムは、大好きです。「エイサー祭り」も広まって欲しい演舞ですね。

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兄貴にアイコンタクト☆されてしまった!

次の演舞は、“少し地味な感じ”がする出し物「トルコと日本の交流」がテーマとか。串本であった「エルトゥールル号遭難事件」を素材にしているみたいですが。しかし舞踏表現が…何だか分からん!

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それで、緑のヒトに注目していたら…

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ダッシュされてしまう。ありゃりゃ~

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踊りが少しグダグダなところもあり、でも愉しそうだ。

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和歌山大学よさこいサークルの「和歌乱」わからん、皆さんの演舞でした。

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派手な煽りの地方車が来た

凄い熱量が近づいてきた…「アンタらぁぁぁ、これが最後やでぇぇ~ぇ~わかっギギゴゴガガ◇#△×☆@」お叫び、叫んでいる!思わず地方車を撮ってしまった。

提灯持って踊る演舞、これ大好き。日没し黄昏時、祭りは最高潮です。一気に幽玄な舞台に早変わりしました。

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「喜笑華」の皆さんです。はい、構えて!

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ドドド~ン!!

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ドド~ン!いい顔しています。

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続きましてチーム「乱痴気」の登場です。

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提灯をフリフリ踊ります

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キメっ!
 

ざっくりと「よさこいまつり」について 

 

○このお祭の主なルールは…わりとシンプル

①踊り子が手に持つ楽器『鳴子』を持つこと。

よさこい節の一節を必ず入れること、のみ。

(※この自由さが人気の秘密でもあり、拡散力の要因となった)

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○演舞スタイル

大切な要素「髪型、衣 装、メイク、振り付け」などは、それぞれのチームが色々と工夫を凝らし、観客を飽きさせません。各チームで統一した、カラフルな「和風コスプレ」は、よさこいの魅力のひとつですね。

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地方車(じかたしゃ)

パレードでおどる踊り子隊の一番前を、華やかに装飾した地方車(デコトラ、1トン車)が、ゆっくりと進む。車の上からはマイクの「アオリ」や「和太鼓や楽器」で盛り上げます。地方車の仕掛けや装飾にも、各チームが色々な知恵を絞ります。

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地方車賞 華酔組

○大旗(おおはた)

踊り子隊の前後の位置にて、色とりどりなチームフラッグで士気を鼓舞します。風が強い日は、見るからに旗士は大変そうです。それをものともせず、大空に美しく翻る大旗はカッコイイです!心がワクワクしますね。

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翻る大旗、ワクワクします

暗くなると地方車のライトだけとなり、かなりシャッターも重くなる。ラスト近くにはよさこい猛者達の演舞が続くのだが、激しい動きはカメラがもう追いつけない。これが残念ポイントとなった。光量不足ですね。

 

和歌山城にある「砂の丸演舞場」に移動します

 

ふぁ~、熱気でフラフラになったよ。和歌山城砂の丸広場には、大きい舞台が組んでありました。昼間にはここで、よさこい演舞が行われていたそうです。

紀州よさこいには「総踊り曲」があります。踊り子、観客全員で踊れる曲です。昨年あたりから『アガラ』和歌山弁で“私達”といった意味の曲が新たに登場しました。

○総踊り曲『アガラ』参加者全員で踊ります! (2019年の様子)

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今年は熱量が違っていた。ほらおねーさんの「目からビーム」まで出てるし!

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○そして続いて『Yappa紀州』 で大会を〆ました! (2019年の様子)

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♪やっぱ紀州~やっぱ紀州~そうじょな やっぱ紀州~よいやっさ♪

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○さて、いよいよ第十六回「紀州よさこい三賞」発表です!

♪~ダララララ、ジャ~ン♪

 

▷おどるんや 銀賞(市長賞)は…『夢天翔』

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▷おどるんや 金賞(知事賞)は…『華酔組』

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▷おどるんや 大賞は……『紀州龍神

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それぞれが受賞しましたっ!

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受賞チームの皆さん、おめでとうございます! 参加された方々もお疲れ様でした。

よさこい祭りはまだまだ続きます。

 

○余談/祭がはねて、南海和歌山市駅まで歩いた帰り道。その道程のこと。何故かわたしの頭の中に流れていたのは『長く短い祭り』だった。

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天上天下 繋ぐ花火哉 万代と刹那の出会ひ 

忘るまじ 忘るまじ 忘るまじ 我らの夏を~♪

 

参考/高知市観光協会HP、紀州おどるんやHP、ウキペディア

(4600文字、Thank you for reading.)

佐久間信盛のお墓と、織田信長からの手紙【武将列伝】

織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された場所は、たしか高野山のはず??まさかこんな場所に墓があるとは、何故?! 奈良十津川に遊びに来てR168を走っていますと、たまたま「佐久間信盛の墓」との看板を発見した。

偶然、織田武将「佐久間信盛墓所」をみつけた!

 

おっ…看板がある「これ織田武将の、あのヒトのことかな?!」少し寄り道をしました。しかし、この武蔵集落への登り口を見落して、一度十津川温泉までスルーと通り過ぎてしまった。こりゃ、たいへん大変💦<笑

それくらいの山また山奥なのです。

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佐久間信盛の墓

○佐久間盛信のお墓/車でないと到達出来ません。R168より脇道(旧道)を東に入ってゆく。さらに武蔵集落への坂道を登ります。

○住所、奈良県吉野郡十津川村武蔵435 

 

佐久間信盛のファンキー・エピソード

 

○その一。朝倉義景への追撃を怠たり信長から叱責中のこと「…そうは言っても“我々のような優秀な家臣団”はなかなか居ませんぜっ!」と口答えして、信長をさらに“激オコ💢プンプン”にしてしまうアスペっぷりでした。

○その二。三方ヶ原の戦いの援軍に出向いた時のこと。信盛は武田軍を目の当たりにしてたちまち恐怖、真っ先に戦わず浜名湖付近まで逃亡し「織田信長を面目丸潰れ」にした。さすが「退き佐久間」の真骨頂ココにあり!ですね。

○その三。石山本願寺攻略の総大将を任された信盛は、一向に力攻めも謀略も仕掛けず、丸五年間たいした成果なくやり過ごす。勿論、最強雑賀衆が“強烈な鉄砲”で寄せ手を完全排除、その恐怖心たるやハンパなかった模様です。お気の毒。

 

その後の展開は… 

やがて信盛には、信長より「十九か条の折檻状」を突きつけられた。信盛はこの手紙を見て「もはやこれまでか…」と絶望感を抱いたのでした。

程なく嫡子・信栄とともに頭を丸め、高野山に入りました。

ところがその高野も追われ、自分の臣下にも見捨てられ、熊野の山奥で亡くなったときには信栄と、小者一人しかいなかったそうです。天正十年一月二十四日、熊野山中にて哀れ信盛、没す。

(※なお『佐久間軍記』には、この追放劇について「誰か(明智光秀)の讒言でもあった云々」といったことが書かれています。ムムっ、信盛ハメられたのか?!)

 

織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された理由とは…讒言?

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佐久間信盛

【もしも“織田信長株式会社”があったなら】

○本社は東大阪にあります。ある時、佐久間盛信常務のパソコンに、信長社長からメールが届きました。 (※以下、チョー適当な、大阪弁に翻訳してみました。)

 

<信長社長からの着信Mail>

用件:「佐久間信盛に言うとくで」

 

To サクやん♡へ

 

自分なぁ、全然あかんヤツやん。

七つもの国の支店長集めてやで、もうかれこれ五年かなぁ。

それで結局のところな、自分じぇんじぇん出来ひんかったなぁ。

あのヒッデーやミッツーら見てみ~な、よ~け手柄あるやん。

自分ここらへん手柄、じぇ~んじぇ~ん無いやんかいさ。

そらな、でけへんのはしゃーないわ、そやけどもやで。

出来ひんなら出来ひんなりに、ワイに相談したら、ええんとちゃうかぁ?マジで。

そやのにあんた、何もやらんとからに、ダラダラ包囲だけしてたヤン、あかんやっちゃ。

パートさんばっかこき使うて、自分の部下とかぜんぜん増えとらんちゃう?

なっ、そやでぇ、ほんで水野君のチームやけどな、自分に付けたったやんか。

あいつらじぇんぶクビだっか?アイツらめっちゃ強いんやで。

わりと見込み有馬温泉やったのにな。

ミッツーやヒッデー見てみい、ワイは感状何枚書いたと思てんねんな。

もう右手、腱鞘炎やでホンマに。

それで自分どないだ?すでに隠居でっか~?隠居ハンか(爆)

そらま~、そんなコト考えるちょる時かもしれんけども。

そやで、おまはんの跡取りの馬鹿息子の信栄か、アレなほ~んま評判悪いで。

自分あんなんに跡継がすんけ?ワイの部下とか支店長にやで、横柄な態度とってんのホンマ笑かしょんなぁ。

そうそう自分よりもっと年寄のゴン六ちゃんなんか、北陸支店スゲー頑張ってんで、ほんま。

ゴンちゃんなんか、跡取りの話もせーへんわな。

いまゴンちゃんえらい頑張ってんでぇー。

いや、たまには負けるわな。そら、しゃーないわ。

いくさは勝ち負けちゃうし、けっきょくのところ、ヤル気やんけ、ヤル気ィ~。

昔からな「ヤル気ィ~、元気ィ~、猪木ィ~!!」イェイ、ボンバイエー!

しょーみのハナシ、このままやったら自分アカンで。マジ卍で。

サクやん、ほな死ぬ気で大手柄たててみ、それか…切腹でもしてみる?

ほなら、身の振り方YoーYoー考え天下。

ワイは、じぇたいゆるしまへんぇ~!!

 

第六天魔王 織田信長 (天下布武)

  

佐久間/信盛(のぶもり)/出羽介/右衛門尉

織田信長によるこの「折檻状の一件」で、織田氏を離れるまでの三十年間、織田家臣団の“筆頭家老”として家中をまとめ重宝された。尾張国の出身、若い頃から信長に仕えて軍事と外交で活躍した。信長に従って各地を転戦し、織田家の主だった合戦に参戦した。殿軍戦(撤退戦)を得意としたことから「退き佐久間」と呼ばれ、戦巧者でもありました。天正十年一月二十四日、熊野山中にて没。信長も追放した信盛がすぐに亡くなったと知ると、さすがに“息子の信栄”のことは赦免してやっています。そして唯一の救いは、ずっと離れずにいた小者はその忠義を賞され、その後士分に取り立てられたそうです。

 

(2100文字、Thank you for reading.)

征夷大将軍「坂上田村麻呂」 鬼ヶ城 奇譚【歴史伝説】

征夷大将軍として活躍した坂上田村麻呂蝦夷の反乱、あるいは各地方の海賊や鬼討伐に活躍する“軍事的英雄”として登場する。

昔話にたびたび登場する「鬼」 の正体とは?

 

奇譚話に登場する鬼や賊の名前は、地域や伝承によって変わる。岩手県では「悪路王」や「赤頭」福島県では「大高丸」や「大多鬼根」といった調子である。

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鬼ヶ城 三重県熊野市

天皇の命を受けた坂上田村麻呂が、紀伊半島一帯を荒らし廻っていた「鬼ヶ城の海賊」を退治した話が、いまに伝わっています。

 

坂上田村麻呂鬼ヶ城」の鬼退治伝説 

 

平城天皇※1の頃じゃった。「鬼ヶ城」に鬼神が住みつき、村人をたいそう悩ませたそうな。その話を聴いた坂上田村麻呂将軍が「大君の神の国で暴れるとはけしからん!」と、二木島※2を経由して軍船で鬼の岩屋に近付いた。

一方、鬼の大将「金平鹿」また名 多娥丸は、手下を集め知恵を絞った。話は決まった。「田村丸にはどうやら観音の加護があり、我々の神通力が効かないかもしれない」と食料を運び込んだ岩屋に閉じこもって、石の戸を閉めたそうじゃ。

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鬼ヶ城 三重県熊野市

これにはさすがの田村麻呂将軍も、攻めあぐんでしまった。すると沖の魔見ヶ島の上に、菩薩のような光る童子が現れた。そして弓矢を携えて将軍を手招きしているのだ。

童子は「私が舞うから軍勢の皆も一緒に舞おう」と誘う。しばし船を舞台に、舞い遊ぶ。その妙なる調べに鬼の金平鹿は、何事かと気になり石の戸を少し開け、顔を出した。

そこをすかさず田村麻呂将軍は、童子から授かった弓矢で金平鹿の左眼を撃ちぬいた。続いて岩屋から八百もの手下の鬼が飛び出したが、田村軍の千の弓矢にことごとく倒れてしもうた。そうしたら千手観音の化身である童子は、たちまち光を放っていずこかへ飛び去ったという話じゃ。

(※1 第五十一代平城天皇 在位期間 延暦二十五年より大同四年まで)

(※2 二木島は、三重県熊野市にある「二鬼島」と表記されたこともある。映画「火まつり」の舞台になった)

 

坂上田村麻呂の「尾呂志」鬼退治

 

さらに話は続く。

また「四鬼の窟」に住む鬼が村の子供をさらっていくので、人々は不安であったそうな。田村麻呂将軍は「鬼ヶ城」で鬼の首魁や手下を滅ぼしてから、「尾呂志」の鬼も退治しようと再び甲冑に身を固めた。

そして通りかかった村人に鬼の住む窟と、四頭の鬼が住むことを聞き出した。田村麻呂側は弓に弦を張り、矢尻と刀を研いで用意を整える。

金掘の南の谷あいを辿ってゆくと、鬼どもは大きな岩の上であぐらをかいて、こちらを睨みつけ「俺達を退治しようとは片腹痛いわぁ~射れるものなら射てみよっ!!」と大音量を張り上げた。

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鬼ヶ城 三重県熊野市

田村麻呂将軍の号令で大合戦が始まった。やがて鬼どもはしだいに弱りはじめた。これはかなわないと棍棒を引きずり、ほとほと逃げはじめた。そして田村麻呂将軍にスパッと切られた鬼の大将の首は宙に高く飛び、将軍めがけて噛み付いたが一瞬身をかわされ、そばの木の根にかみついた。ほかの三鬼も皆みな殺されていった。

そして鬼を退治した将軍が彼らのこもっていた窟に行くと、奥の暗いところで“しくしく泣く声”がする。そこには藤蔓で縛られた子供がおり「一昨日さらわれた娘の松でございます」と村人の中から男が進み出た。田村麻呂将軍は各地で鬼を退治したので、村人は大層喜んだということなのじゃ。

 

めでたし、めでたし…か?

(※尾呂志村は、三重県南牟婁郡にあった村。現在の御浜町の西部。風伝おろしの美しい町です) 

 

この鬼の正体とはいったい何だったか?

 

しかし何故、鬼は一方的に虐殺されねばならなかったのか?「鬼なんだからあたり前」と思ってはいけない。この伝説は、そのことを何も語らない。鬼は「牛と虎」牛の角をはやして、トラのパンツ穿いてる、ウシトラ。鬼は丑寅の方角からやってくる。その鬼門は東北東、“蝦夷が住むところ”である。

(※紀伊半島には、今も鬼の子孫が暮らしています)

 

世界遺産登録「鬼ケ城」

○訪れる価値アリの場所です! R311号、25kmほど続く七里御浜沿いの道。その海岸線の終わりあたりに突き出た岬「鬼ケ城」があります。人々を圧倒する迫力ある自然奇勝が続きます。

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鬼ヶ城 三重県熊野市木本町 (GoogleMAP)

○住所 三重県熊野市木本町1835

○リンク/世界遺産 鬼ケ城(おにがじょう・三重県熊野市)

 

出典参考/三重県観光連盟、ウキペディア

(1800文字、Thank you for reading.)

和泉山脈に隠された、謎のモノリス「紀泉入会解消記念碑」その正体とは?! 和歌山市 西庄【ずっと謎だった】

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和泉山脈紀伊半島を東西に走り、和歌山と泉南を二分する。修験道の「葛城二十八宿の行者道」もこの尾根筋あたりを縦走しています。 

和歌山市と大阪泉南市の、県境に“謎の石碑”が建っていました

 

昔の行政区分でいえば「紀州泉州」地理的には別の国。でも住民感覚では、曖昧な国境線でしかなく双方とも、自由に裏山に立ち入っていたらしい。

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紀泉入会解消記念碑

和歌山市西庄から、県道751を北へ猿坂峠目指し登って行く。ヘアピンの終わり、峠道から外れ右手の登山道へ入る。すぐに「紀泉入会解消記念碑」があった。

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石碑裏側

ココからは「新日鉄住金和歌山製鉄所」や「和歌山市街地」が、眼下に拡がり眺めがとても良い場所。しかしこの石碑は、どうしてこんなに立派なのか?まさに“謎のモノリス”ではないか。

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南方向は眺めよし

石碑の横にはベンチがあります。その前にはテーブルなのかな?「お助け杖」も完備されていました。地元の方の手作りと思われます。

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東方向を眺める

「うん、いい眺めだっ!」

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この石碑は何百年にも渡る“闘争の歴史”を意味していた

 

この碑石が建っている意味、簡単に云えば、元禄時代より「和歌山と泉南地域の血みどろの入山紛争が続いていた」そして数度に渡る話し合いの結果、昭和十年にようやく入会が解消された。そういった内容だったが、その当時の資料を読むと、ずいぶんと“根深い闘い”だったようですね。

三百年も続く係争なんてそうそうありませんよ。先祖代々連綿と、一歩もひくに引けない(((重大な案件)))だったのです!そうに違いない!

(注/因みに入会権⇒“いりあひ”とは、地域の住民が慣習に基づき、山林原野などを共同利用し、草木、薪炭材、鳥獣などを採取する権利を云う)

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オラもうイヤだぁぁ~

当時の新聞記事を引用します。

見出し『流血の三百年史に見事・昭和の裁き 紀泉國境入會の分割騒動 八箇村民が手打ち』

本文『元禄時代から三百年もの長い間 松茸山をめぐって大阪五箇村和歌山三箇村が 入乱れて血眼の争いをつづけてきた 紀泉国境入会山の分割騒動は本年に入り 急速度に円満解決への朗らかなステップを踏んでいたが、十七日午後三時大阪府泉南郡東信達村楠畑において 大阪側松沢農務課長天野技師並に東信達村ほか四箇村長、和歌山側梅田林務課長、内田技師及び山崎村外二箇村長等が会合して 最後の調停を進めた結果 ついに円満に妥協成立し目出度く手打となり ここに三百年の紛糾もヤット納めの幕をおろすことになった、徳川の昔 大阪府東西進達樽井外二箇村和歌山県山崎、小倉、根来の三村 合計八箇村の村民は 共有の入会松茸山を繞り先祖相伝で争いを繰り返してきたところ 元禄十四年稲葉守の調停で境界線を定めたが、その後 明治初年に至り元の共有山となり その後農林省でもしばしば調停に乗出し 大正十五年一旦解決したが、間もなく大阪、和歌山双方がこの調停を破ったため 争いは深刻となり遂に流血の騒ぎを見るに至ったので 堪まりかねて両府県当局が一昨年来妥恊に奔走の結果 ついに今回成立したものである』

(大阪時事新報記事 昭和十年 1935年5月19日付)

えぇぇぇ?!マッタケ山をめぐって「三百年も闘っていた??」マジですかぁぁ…少し笑け☺ぷぷっ

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松茸山だった面影はないね

このあと、妙にキョロキョロして歩いたことは、秘密です。 

 

あの有吉佐和子さんも、注目していたという事件なのです

 

また、この石碑は有吉佐和子の小説「助左右衛門四代記」にも登場します。この土地、木ノ本育ちの著者は、地元和歌山を舞台にした作品を沢山描いた。そのひとつです。

助左衛門四代記 (新潮文庫)

助左衛門四代記 (新潮文庫)

 

○あっさりあらすじ

妻が巡礼の白い犬をあやまって殺してしまう。「この家に七代まで祟ってやる!」白い犬が原因でおかしくなってゆく…七代にもわたる嫁取りの物語、それぞれが苦労をしながらも家系をつないでいく。有吉先生の描く紀州弁が、本当に美しい。

 

○この場所への行き方

最寄り駅は南海加太線西ノ庄駅」下車約20分位。さらに北に進めば「甲山」があります。地元では“有名なヤマ”ですよ。<笑

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紀泉入会解消記念碑 周辺地図

○県道751木ノ本岬線、和歌山側は綺麗な舗装道路だが、この県境越えると一車線の道、荒れた道路となる。さらに進むと「甲山」へと至る。

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こんな感じココから大阪府

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甲山へのアプローチ

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甲山山頂からの眺め

○甲山にあった看板「甲山山頂 212m 私の好きな山 日本ベスト100 第4位」だって<笑

ジャジャ~ン♪おしまい☺

 

(1900文字、Thank you for reading.)

和歌山市 岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C 57119」と「和歌山軌道321号」について【思ひ出の車輌】

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和歌山城 岡口門
桜舞い散る和歌山城の岡口門から、三年坂通りを南へ渡ると岡公園があります。いつもここに来ると懐かしい気持ちが蘇ります。

和歌山市民から、愛され続ける岡公園です

 

和歌山城の南側にある「岡公園」は、和歌山市民なら一度は遊んだことがあるはずです。少し高くて「急角度の滑り台」が大人気で、何時も子供達の声がたえません。

また盤山「天妃山のテッペン」にも登ったのではないでしょうか?子供心に冒険気分になれましたね。裏の天妃池ではザリガニ釣りとか。

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丘公園入口にある石碑

岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C57 119」です

 

懐かしの蒸気機関車「C57 シゴナナ」です。紀勢線全通の昭和三十四年に、和歌山機関区に配属。その頃の和歌山機関区には、6、61、78の姉妹機も一緒に居たそうです。

ワタシも幼少期に乗った記憶が(うっすらと)あります。ずいぶん興奮してSLの絵を書いた。そして確か賞まで貰ったので、この車輌を覚えていました。

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丘公園に保存されているC57

紀勢線時代は特急「くまの」の牽引があり、集煙装置、重油併燃改造、ボイラ前端角化されて、以後紀勢線のSL廃止となる昭和四十八年まで活躍、退役後は岡公園にて美しく静態保存されています。

 

<和歌山県内で保存されている C 57 車輌>
○C 57    7号機、和歌山県田辺市会津児童公園
○C 57110号機、和歌山県橋本市、橋本運動公園
○C 57119号機、和歌山県和歌山市、岡公園

○貴婦人C57の勇姿✨をご覧下さい↓(昭和43年~47年撮影)

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(※元国鉄和歌山機関区のOBである「田中一郎」さんが整備されています) 

 

南海和歌山軌道「321号」、通称ちんちん電車

 

皆んなから愛された、通称ちんちん電車(南海和歌山軌道)の321号も、岡公園で一緒に保存されています。昔は和歌山市民の足として、また景勝地和歌の浦への観光路線として大活躍しました。

昭和四十六年三月三十一日、路面電車廃止の日。営業運転が終了後、さらに車輌留置のために空車にて回送された321号が0時25分、和歌浦口停留所へ到着する。

ここにすべての路面電車の運行が終了しました。いまは「和歌浦口」と行き先表示されたまま、岡公園で時が止まっています。

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南海和歌山軌道 321号

保存車輌は、ここ岡公園と海南市にわずか二車輌が、残っているだけなのです(海南市、室山児童公園に322号がかろうじて残存)。他の車輌は和歌山の海の底に、漁礁として沈められ眠っています。これは愚かで悲しい“鉄道黒歴史”ですね。

○在りし日の市電(和歌山軌道)の姿です↓(46年3月撮影)

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新しく移築された「長屋門」で、岡公園の印象が少し変わった

 

岡公園の北東側。いまに残る紀州和歌山藩の中級武士の屋敷門です。白黒格子がらの海鼠壁が目を引きますね。なんだか妙に白くて新しい。

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以前は堀止にあった長屋門

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裏側にはこんな感じに

それもそのはず移築に伴い、新しい建材を使いリニューアルされていました。

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岡公園付近の地図

和歌山城観光の最後に、ぜひお立ち寄りください。

懐かしい想い出がよみがえりますよ。

 

(1300文字、Thank you for reading.)