紀伊ハンター Minminzemi-Jr

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和歌山線 鉄道唱歌の旅 第五集 四十二番 五條駅から隅田駅へ【鉄道覚書】

 

和歌山線 鉄道唱歌の旅、五條より発車しま~す、出発進行!

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四十二番 歌詞♪『終われば起こる鉄道の 南和と紀和の繋口 五條過ぎれば隅田より 紀伊の境に入りにけり』列車は、一路紀州を目指します

 

<昔の鐵道事情>

明治二十二年に官鉄(国鉄)は、東海道線など一部の鉄道を無事完成させたが、国には鉄道建設を継続する資金がもうなかった。そこで「鉄道局の免許」取得条件に“私鉄建設”を日本各地で推進した。

 

①「南和鉄道(明治二十九年に、全線開通)」は奈良県の私鉄で、現在のJR西日本和歌山線、高田~五條」間を運行していました。のちにこの路線を関西鉄道が吸収合併し、その後に国有化されます。

 

②「紀和鉄道(明治三十三年、全線開通)」は和歌山県の私鉄、現在のJR西日本和歌山線、五條~和歌山(現紀和)駅」間を運行していた。和歌山県で初めての鉄道でした。こちらも関西鉄道が買収し、さらに国有化されました。

 

③このふたつの路線を取りまとめていたのが「五條駅」。そこから西へとつづく「隅田駅(すだえき)」は、紀州入りの最初の駅となります。

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紀和鉄道 路線図

紀和鉄道の創立時。本社は奈良五條町にありました。また出張所が和歌山市に置かれ、全線開通後には和歌山市 嘉家作町(かけづくりちょう、現紀和駅)に本社を移転。そのおかげで、駅前周辺がずいぶん活性化したそうです。

 

五條にあった「国鉄五新線の遺構」

 

五条市街にはコンクリートのアーチ橋が遺されています。これは開業することなく終わった幻の「国鉄五新線」の構造物。ここ五條市から紀伊半島の山々をはるか越えて、南端の和歌山県新宮市まで路線計画されました。

 

この紀伊半島を鉄道で貫く大構想は、その後も建設工事が進められたが、1982年に採算が見込めないことから工事凍結され、結局列車は一度も走ることなく五新線計画は断念、放棄されることとなった。

その当時の遺構が、いまも遺ります。

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五條駅 周辺地図

そして五條といえば、地元では名高い名君「松倉重政」がいました。“五條新町”を開発した殿様だったそうです。

松倉重政ついては、こちらの記事をご覧ください。

minminzemi81.hatenablog.com

 

『隅田より紀伊の境に入りにけり』駅舎に不思議な萌え絵が書いてある、隅田駅に到着します。不思議ワンダーランド

 

隅田駅舎のユニークなペンキ絵は、近くの隅田中の生徒が描いたものです。いまや隅田名物となっていますね。古い国鉄駅舎のイメージを遺す、なかなかイイ駅ですよ。

 

近くには、隅田八幡神社があります。国宝「人物画像鏡」(現物は東京国立博物館)で有名な神社です。この神社にあるのは、巨大レプリカですが。

それでこの銅鏡の縁廻りに「謎な文字列」があるのです。実はこの“古代の暗号”どっから読み始めるのかすら判ない。でも、何だか興味深いです。

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人物画像鏡(国立博物館 蔵)

銅鏡 文字列『癸未年八月 日十大王年 男弟王在 意柴沙加宮時 斯麻念長寿 遣開中費直穢人今州利二人等 取白上同二百旱 作此竟』

 

訓みが『癸未(みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年 男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮の時 斯麻(しま)が長寿を念じて 開中費直(かわちのあたい)穢人 今州利の二人らを遣わして 白上同(上質の銅)二百旱にて この鏡を作る』ということらしい。

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隅田駅 周辺地図

(※ 隅田八幡神社 <主祭神> 誉田別尊 足仲彦尊 息長足姫尊 橋本市須田町垂井622番地、隅田駅下車約20分、駐車場あり)

(※「癸未年」は、西暦503年と思われる。そして「斯麻」は、百済武寧王(502年~523年)。倭国王へこの鏡を贈った主となる。では鏡を贈られた「日十大王」の「男弟王」とは誰か?)

 

奈良と和歌山の国境線「真土」とは、いったい何?

 

古代から“大和と紀伊の国境”を分ける真土山があり、そこを流れる川として「落合川」がありました。この川の両岸に大きな岩が張り出し水量が落ちる時期には、ひとまたぎで川を渡れるようになっていました。

 

それで川の両岸にある大きな岩を「真土の飛び越え石」またこの場所を「真土の飛び越え」と呼ぶようになったそうです。真土の意味は、農作に適した場所とのことらしいのですが、この周辺はそんな風には思えません。こりゃ何だか、不思議な話。

 

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(※JR隅田駅から徒歩で約15分。24号線に近く、山へ100メートルほど入る、入口付近に駐車場)

 

明治三十三年に出来た『鉄道唱歌』をご紹介します

 

日本一「歌詞が長い歌」として有名だった。鉄道唱歌といえば『汽笛一声 新橋を~』の歌い出しで有名ですが、実は一集から五集まであり、さらに歌詞違いの“別編”も沢山存在しているようです。

 

この「鉄道唱歌 第五集」では、一番の歌詞『♪汽車をたよりに思い立つ 伊勢や大和の国めぐり 網島いでて関西の 線路を旅の始にて』大阪は、網島(いまは廃駅)から鉄道旅が始まります。

あと「国鉄特急、0系新幹線」をご存知の方は、懐かしく思い出すのかも知れませんね。車内ジングル♪にも採用されていましたから。

 

歌の特徴は、七五調でテンポよく「沿線の地理・名勝巡り」が出来ること。その当時の日本各地に出来た主要沿線・観光地を網羅し、ずいぶんなスグレものでした。この「鉄道唱歌」の歌詞本は、大正初期までの二十年間に、何と二千万部も売れたといいます。自由気ままに旅行出来る現代とは違います。明治人はこの歌に、まだ見ぬ土地々を夢見ていたことでしょう。

 

<鉄道唱歌 五集 和歌山エリア>

 

四十九番

親のめぐみの 粉河より
また乗る汽車は 紀和の線
船戸 田井の瀬 うちすぎて
和歌山見えし 嬉しさよ

 

五十番

紀の川口の 和歌山は
南海一の 都会にて
宮は日前 国懸
旅の心の 名草山

 

五十一番

紀三井寺より 見わたせば
和歌の浦 波しずかにて
こぎゆく海士の 釣船は
うかぶ木の葉か 笹の葉か

 

鉄道唱歌第五集/関西、参宮、南海編。前方ヨシ、出発進行!

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五十二番

芦辺のあしの 夕風に
散り来る露の 玉津島
苫が島には 灯台
光ぞ夜は 美しき

 

五十三番

蜜柑のいづる 有田村
鐘の名ひゞく 道成寺
紀州名所は 多けれど
道の遠きを いかにせん

 

五十四番

みかえる跡に 立ちのこる
城の天守の 白壁は
茂れる松の 木の間より
いつまで吾を 送るらん

 

大阪発、奈良から和歌山へとグルリと巡り、再び大阪へ戻ってきて、この鉄道旅行は終ります。当時の鉄道旅情を、感じて頂けたら幸いです。

 

♪『いさみて出ずる旅人の 心はあとに 残れども』 

 

(2700文字、thank you for reading.)

今週のお題「遠くへ行きたい」#なんて素敵な和歌山なんでしょう