ついに私が「ブログ書きの真髄」を語る時がきたようだね。ぬはははのは【ブログ傾向】
ブログ初心者に“贈る言葉”言いたいアルアル、ブログ初心者に“贈る言葉”云いたいアルアル。ブログ初心者に“贈る言葉”いぃ~くよっ!
One・Two・Three、はいっ⇒『ブログは“タイトルと、書き出し”がすべてっ!』…オワリ。
<🐍蛇足コーナー>
カンタンに終わってもたがなぁ、かなんなぁホンマ、わかれへんちゅ~ねんキーボー、たのむでしかし…(横山やすし風)なるほど成程、これでは伊佐坂先生「あんまりぃ⤴︎」なので、もう少し続けますね。そう何故、「タイトルと書き出し」なのか??
タイトルつまんないと、誰にも見てもらえないよ
○「タイトルが大切ですか?」そう、ほとんどのヒトは「検索時にタイトルしか見てない」のです! “本でいえば背表紙”ですね。タイトルを“キャッチで煽り”まくってくださいっ!! 「キャッチコピー」こそ大切! オーディエンスに読まれたいならね。
「検索時にタイトルしか見てない!」
ならば⇒「キャッチィなタイトルでキメっ!」
○これがそのお馬鹿な例↓↓↓キャッチーですか。
曰く「書き出しさえ決まれば小説は、八割できたも同然」だそうだ
○例えば文豪の川端康成先生は、あの有名な『雪国』でこう始めた「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」ハイ、傑作決定!ノーベル賞いただきっ!こんな“凄い出だし”は見たことないね。ドッ♡キュ~ンだねっ!
この一文が「すべてを物語る」のであります。
もちろん、我々凡夫がおいそれと出来ることでは無い、それはそうなのですが。けれども「努力ポイント」であり下手な真似ぐらいは、まぁ…やれない事でもないでしょう?! 何事も“つかみ”は大切です。ブログは名文である必要はないのだから。
だからといって…
○ブログでよく見かける書き出し ⇒「皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは!○○で~す♪」と始まるヤツ。いったい誰に挨拶しとるんじゃコイツと、思ってしまう。やっすい漫才師じゃあるまいに、ハナからポチが尻尾振りまくりなのである。
「何事も“つかみ”は大切、名文の必要もない」
これ⇒「書き出しでぇ、キメキメっ!」
○これがそのチャレンジ例です↓↓↓なんか凄そう!
人間見た目が大切、まして匿名文章(ブログ記事)なら尚更に
○EX.さらにさらに蛇足くわえるなら、ブログに「写真」は必須だね。
そう「百聞は一見にしかず」とは良く出来た警句、“千の駄文よりも一葉の写真”が多くを物語っています。拙い文章を補完してくれるのが「写真orイラスト」面倒くさがらずにズババーンと、沢山挿入いたしましょう!
「百聞は一見にしかず、写真は必要です」
だいじ⇒「写真で“愛✨キャッチ”しませう」
○これが一例となるかな?!↓↓↓ 山のように写真ぶち込みました。
「はいっ、まだまだ伸びしろありますねっ!!」
○付記/自由ネコさんも同じこと言ってるの発見! 貼っておきます。参考に。
【ブログ論】個人的には「記事の出来は最初の数行で決まる」と思っている - 自由ネコ
(1300文字、Thank you for reading.)
「Dr.傘ドン・K・レクター(略称 Dr.K)氏 事件」人類ほぼ滅亡?!【Xファイル 未分類】
< Xファイル 未分類項目> -Top Secret-
「Dr.傘ドン・K・レクター(通称 Dr.K)」案件 調査報告書
>>出身地(推定)
みかん県 みかん山コロニー「🍊みかん星人=未完成人=明日ペルガ」
>>現在地(確定)
「天空の城 、空の木、太陽の道」などが、生息地域である。
>>エイリアンによるアブダクション経験
そのアブダクティでもある「Dr.K」は、子供の頃に連れ去られ「性的実験」や「インプラント」さらに「消された記憶」そして「納屋での人体実験」の様子を克明に語った。
>>その時のエイリアンの特徴としては、身長はやたらと低く、色白で黒目の瞳、耳たぶや唇などはとても小さかった。これは、地球外生命体の特徴を備えた「グレイタイプ B」であったらしい。
>>時間が経ってから「ようやく思い出す」というケースはUFO案件に数多く報告されている。アブダクトされたという“明白な記憶”はなくとも、成長するに従いやがて心身にさまざまな“サイン”が現れる場合が多い。
>>それは「やたら女好き」とか「さちりアジす」や「○○が異常なキノコマリオ状態」または「子羊たちの悲鳴 !!」などである。
>>以下リポートは、EEGによる記憶の回収「蘇った記憶」をもとに、時系列に沿って構成されたものである。しかし表現が不可解気味なのは「自閉症で、混み障で、明日屁」であると「Dr.K」自身が認めている。
>>オープニング:<SEASON ONE>
二匹のネズ公と二人のコビト
当時「二匹のネズ公」と「二人のコビト」は、それぞれ毎日“ラビリンス”を忙しく駆け巡っていました。そんなある日、大量の🧀チーズが置かれている「チーズ・ステーション2」なるものを偶然発見✨したのです。
その場所を最初に見つけたのは嗅覚の良い二匹のネズ公なのですが、どうやら「残念な頭の構造」だったようで、いつも自分のネグラから“バタスタバ”と走ってきます。
対して二人のコビトは、小賢いのでチーズ・ステーション2の近くに引っ越して、わざわざ早起きせずとも昼頃に起き、悠々とチーズ・ステーション2に行くのでした。
そしてある時、大事件が起こる!
「チーズ・ステーション2のチーズがすべてなくなっていた」のです。もちろん、突然なくなった訳ではなく「毎日二匹のネズ公と二人のコビトが、腹いっぱいチーズを食べていた」ので、みるみる減ってしまっただけの話なのです。でも最後の一個を食べたのは、いったい誰だ?!
>>参考資料①/みかん星人の性格とは…「ジト目で見てるだけ」
さて、迷探偵登場!
チーズ🧀ステーション2で、最後のチーズが“誰か”に食べられた。コビトAは「犯人はネズ公Bに違いない」と証言した。ネズ公Bとネズ公Cも、とある証言をした。
そして『犯人はA、B、Cのうちの誰か』『犯人だけが本当のことを言った』ということは解かったのだが。食べたのは誰なの?食べたの…誰?
コビトの怠惰で愚かなる日々
チーズがなくなってからの行動は、ネズ公とコビトで大きく異なっていました。
ネズ公は以前の生活どうりに、朝からラビリンスをムダに“ドタバタャ~ン”と駆け巡り、どこかにある新たなチーズを見つけようと盛んに活動をしています。
コビトたちはというと「🧀チーズはどこへ消えた?!」とか「アブダクション事件だ!」さらに「こんなことがあっていいわけない!」などと叫んでいるだけなのでした。
でも「今日はチーズがもとに戻っているに違いない」と“謎な期待”をもちながら、チーズ・ステーション2で「🧀チーズがないこと」を再確認するだけという、全くもって“実に愚かしい日々”が続いてゆくのです。
>>参考資料②/みかん星人の行動とは…「決して交わらない」
新たな展開「Dr.K」身の振り方
🧀チーズがまったく手に入らない日々が永く続く。ある日のこと、コビトの片われ「傘ドン・K・レクター(以下、通称Dr.K)」はとうとう「NEOチーズ」を探すべく、古いチーズ・ステーション2から「旅立つことを決意」しました。
実際のところ、この考えは必ずしも“Success”が約束されている訳ではないので「Dr.K」は、慣れ親しんだチーズ・ステーション2から離れるべきかどうか、いつまでも“ウジマッチャリ”と迷っていたのでした。
そして決断させたある出来事が起こった。それが何であったかは、いまもって不明ですが。やがて「Dr.K」は、堂々宣言する。
「人生は大河の一滴。進め!ひょっこりひょうたん島!」と。
そのかたわらで“呆然の相方”をしり目にそう言い残し、謎のラビリンスへと一目散に駆け出して行ったのでした。
「ばたばたびぃ~や♪サバら!」スタコラスタコラ…
>>参考資料③/みかん星人の人生とは…「無駄にまったりし過ぎ」
突然消えた「Dr.K」その後の行方は
そう「Dr.K」は、チーズステーションを探していく過程で…『たとえ新しいチーズが見つからなくても、いままでのチーズ・ステーション2にとどまっている生活より「はるかに気持イィ~♪」ことが“図画工作”できる』この可能性に、ハタと気付いたのです。
そして「Dr.K」は、ラビリンスを何度も駆け巡りながら「日々気づいたことをSNSに記録」し、とうとう“NEOチーズ・ステーション No.9”を不思議発見✨するのでした。
まったくもって「頭の中のネズ公二匹」のお陰だったのですが。それから…「行方不明になっていた相方」は実は「Dr.K」により「コンクリずめ(カイショ付き)コンポジション」Wow…!にされていたのでした。
以上、最終報告を終わります。 (署名/スカリン捜査官)
>>付記/みかん星人について
🍊ローカル3と呼ばれる「異次元に存在するミカン星」からやってきた。密かに地球侵略を企む宇宙人なのである。テレビにおいて、その存在が暴かれたのは平成四年「1992年11月2日に発見!」と、恒星日誌に記されている。
🍊単性世代(種無し)のまま成長し、接合子(珍古)を作ったときのみ有性世代となり、白い花を咲かせる。その際にみかんの種子に似た「極めて小さなミカン星人」を、空中にドッカーンとぶっぱなしその短い一生を終える。
🍊超高性能ミカン脳を持つ。知能指数は何と二万。しかしその知能が活かされることは全くない。過去に大戦争をし、悲しい記憶から「もう争いごとはやめよう」と遺伝子レベルで決定し、自ら平和主義思考を標榜しているらしい。ならば、なぜ地球侵略を企むのか?!
リンク/
>>推薦図書/チーズはどこへ消えた?
>>アニメ、チーズはどこへ消えた?/Who moved my cheese Full Movie - YouTube
(この記事は事実を元に構成した、フイクションです。2800文字、Thank you for reading..)
直撃颱風 二十四號の思ひでを綴る、秋。今年の颱風はもの凄かったね【台風一過】
スーパータイフーン「台風24号 チャーミー」の思い出について、少し記しておこう。
「何だコレはっ…」まずビビったのは、この何ともな台風の眼である。ISSから撮影されたモノなのだが巨大で、邪悪で、鳴門の渦潮の超巨大版の様な映像にビックリした。
ゴゴゴッゴゴゴゴゴゥゥゥ~という凄まじい唸りまで聴こえてきそうな映像ではないですかっ!
天気予報によれば「九月二十六日時点の台風24号の中心気圧は935hPa、最大風速は50メートルの「大型」で「非常に強い(上から2番目に強い)」勢力です。米軍合同台風警報センターによると「進行速度は時速5.5キロで、これは人が歩く速さとほぼ同じです」と云う。
また針路予想が「四国から紀伊半島を直撃する」というのだ。前回の台風23号の傷も癒えないうちにまたもか…追い討ちをかけるようにやって来ると云うのだ。我が家は丘の上に建つマンション十階に住んでいる。遮蔽物が一切なく、晴れた日にはすこぶるイイ眺めなのだが、南からの風雨にはモロに喰らうこととなる。
そのひとつ前の「台風23号 バリジャット」襲来では、こんな有様だった。
ベランダから海を眺めると…うひゃぁぁな展開。
そうなんです。台風23号襲来当日には海は兇悪な様相を示していた。「これ…なんかやばいぞっ!」その嫌な予想は果たして当たったのだった!
台風一過、その爪痕をガッツリ残し去っていった。
何と我が家では…部屋の中まで浸水し、ベランダはこの有様だった。燐家との間を仕切るパティションが射抜かれ、ぶっ飛んでしまったのだ。
まるで凶悪なケダモノが走り抜けたかのように。
左も…
右も…
ぶっ跳んだぁぁ~!
思わず呟く…「いやぁ、風通しいいねぇ~」お隣さんが丸見えだ。
台風襲来前日、それでどうしたかと云えば…
この前回23号の体験、教訓を踏まえて、厳重に対策を図った。
先ずは食料品(インスタント麺とパン、芋類)の買い出しを済ませ、風呂場と水ボトルに約200ℓを確保した。ベランダの植物や諸々は、すべて室内に入れ、ベランダ窓際にはうず高く新聞紙を敷き詰めた。ベランダサッシにも、外からガムテープで目張りまでした。「コレでそなえは、盤石っ!」とりあえず完了した。
少し疲れてベランダから海を眺めたら…荒れた…あれ?
あれれ、いい波が、たってるっ!サーフィンやってるよ?!
サーファーにとって台風は正義、Welcomeなコトだったのだ。
南からの熱風とウエーブ、海岸はまるで真夏に逆戻りしたかのようだった。
結果的には24号チャーミーさんは紀伊半島に上陸した。でも前回23号程ではなかった。これはワタシが住む地域が、台風進路方向の左側にあったからだと思われる。
しかし今年は台風の当たり年なので、まだまだでかいヤツが来るのカモ知れませんね。
追記/気象庁によると10月22日午前3時、マーシャル諸島近辺で「台風26号 イートゥー」が発生した。そして日本列島に近ずきつつある。そのコースはまだ判らない。
(1200文字、Thank you for reading.)
【魚釣りのススメ 2】渡り蟹と真蛸と、チャンネーは何処 ?! <第二夜>『カニカゴ団 第一回 現地調査』を終えて
失われし蟹を求めて
まるでプルーストの小説タイトルみたいだが、そんな高尚なモノをこのブログに求めては→『おかど違い』←なのである。
(※ちなみに「筋違い」という言葉もあるね。「お門違い」が“訪れる家を間違える”のに対して、その前段階“訪ね歩く道筋”じたいが違う、というおマヌケさま状態)
まぁそれで、残念ながらこちらは「タダのカニとり」の話でしかない。「カニ取り合戦」と見出しを打ちたかったが、いったい誰と闘ってんだか分かんないので、止めた。
○前回のお話はコチラです。魚釣りの神髄、哲学をも語った…と云う迷作?
ひと月ぐらい前のこと、ふと「渡り蟹がたべた~いの」と思った。
それで、スーパーで渡り蟹を買い求めたのだが、予想どうり何とも旨くない。北九州あたりの産で「活」のまま、爪を踏んじばられて配送されて届いたものだ。そして売り場で一晩以上すごしたらしく、あまりにも元気が無かった…こりゃ、残念だカニ。
渡り蟹についてアレコレ
渡り蟹(ガザミ)はエビ目、ワタリガニ科。近種に台湾ガザミ、イシガニがある。オスがメスより大きい。甲羅には戦闘的な尖った角が左右に、キュートな白い水玉模様がある。これらは天敵(主に蛸)の目をあざむく保護色となっているらしい。ホントかな?
ガザミは挟む力がとても強いので、捕獲時の扱いには要注意。過去の経験で言うと「泣き叫ぶ程、マジ痛いぃ~ !!」あの“ヒラタクワガタ”よりもね、超痛いよぉ。(ヒラタクワガタ基準)
五本目の脚は平たく変形した「遊泳脚」これを使って海中をヒョイヒョイ泳ぐことができる。また海底をもの凄いスピードで、カニ走りしているのを見たこともある。
昼間は砂にもぐって目だけを砂の上に出してじっとしていることが多い。食性は肉食性が強く小魚、ゴカイ、貝類等、小動物をさかんに捕食する。いっぽう天敵はエイ、タコ、ヒトなど。やっぱ、ヒト最狂!
うん…ならば釣るしかないではないか。それで、子供に「カニ網」の絵を描いて説明し、買ってきてもらうことにした。カニ網とは、テグスでウニョウニョになってる網があり、これでカニを絡めとるモノである。
よし、堤防から「釣って野郎」じゃないか!
翌日のこと。大きなものガサガサと抱えて子供が帰ってきた。
「はい、買ってきましたよぉ~♪釣具屋で」と嬉しそうにいう。
「二籠で三千円もしたよっ!」ともいう。ありゃりゃ…
「う~ん、それは“カニ籠”で“カニ網”ではないなぁ」とわたし。
さらにスーパーでエサにする「うぼぜ(調理済み、半額シール)」も買ったらしい。うぼぜとは「イボダイ」のコトで、白身で旨い魚だが餌にするには、ワタが無いとね…まぁ、仕方ないね「かに籠」でやってみるべ。
さて、我々「カニカゴ調査団」はしらす漁で有名な、とある漁港に向かっているのだった。
この港、夕暮れ時には水面に太陽が照りばえて、とても美しい港風景が拡がる。「落日燃ゆる」と形容するに相応しい感じだね。きょうも「燃え☀️萌え」だよ。
しらすの双胴船が、繋留されている。第一調査ポイントは漁港の港湾内。この場所は何度も訪れている、いわばホームグラウンド。
漁港内にチヌが居着いたり、巨大コチが上がったり、シーバスの群れが紛れ込んだり。結構、意外性がある場所でもあるのだ。海は金色に照り輝き、幸先のいい雰囲気ではあるな。
カゴにいれる重り替わりの石を集める。だいたい握り拳位のサイズが適当。石をカゴ隅、対角線上にざっと配置する。
餌には新たにスーパーで入手した「鯛あら」をセットする。ずいぶん高価な餌に想えるが、あわてて用意したので仕方ない。前日の「うぼぜ」と併せてグイグイ押し込む。こんな上等な白身魚を餌にするとはなぁ。「何だかもうしわけな~あ~い~よ(心のこもって無い声)」グイグイっと。
そして、良さげなポイントめがけて、カゴを沈める。この漁港の底は澪筋は深いが、淵は浅いのだ。
ジャボ~ン、ブクブク。
これにて、完了である。
はい。第一回調査、結果発表です。
さて翌朝、五時半なのである。もう、めっさ眠~い。
ソロりソロりと、沈めたカゴを上げてみる。
「おっ、なんかいるぞっ~」グネグネうにょうにょ。
「たこ🐙でぇ~す !!」でた、ワオ!
一カゴ目。マダコをゲット!
網から何とか脱走を試みる引田天タコー氏。うにょうにょしながら、この網目サイズ(約15㍉×15㍉)を見事すり抜けたのだ。脚はともかくデカい頭までね、すり抜けるとはっ!
「ナイスイリュージョン!!」👏拍👏手👏
しか~し鬼より怖いヒトの足に、呆気なく阻止され絡め取られたのだった。
二カゴ目。またもタコですな。目を真っ赤にさせて「ギィ~!」と叫んでいるところ。彼はかなり怒っていますねぇ!タコが威嚇音を出すの初めて聞いたぞ。
天タコー氏「な、なにさらすんじゃ~ボケッ!ワイはナイスな別荘で、只今お食事中やったんやぁ~怒💢」てな感じだった。
マダコについてナンダカンダばなし
真蛸は、日本タコ界の代表選手。タコ目、真蛸科。
食の旬は真夏です。どうも「白いものを餌」と認識する習性を持つらしいので、らっきょや瀬戸物の欠片でテンヤ釣りをすると良いらしい。
そう云えば昔“白いルアープラグ”にタコが乗ってきたのを見たことがある。そんな馬鹿なっ?だけれども、ホントにあった目撃話なのです。
また周囲の環境に合わせて、みずから体色や形状を変えることができ、海中では擬態していることが多い。いわば「海中のカメレオン」でもある。
そしてさらに特筆すべきは、その知能の高さ。海に落ちたミカンを食べるとか、薩摩芋畑まで芋を食べに来るとか、そんな話を聞いた事がある。
天敵はウツボ、エイ、ヒトがいる。やっぱ、ヒト最恐!
しかしよく見ると、このタコの姿見るからにヘンテコ過ぎないかな?上部に胴体その下に頭、ソコから脚(触手)が八本もはえているなんてね。
例えば人間に置き換えて想像して頂きたい。胴体が上で頭が下にあり、顔の顎あたりから手足がはえている。これ、西宮戎神社の「恐怖の牛女」どころではないっ!リングリングサーカスでワールドツアーが出来るレベルである。おかげで西洋では「悪魔の魚」と云う、有難くない呼名まで付けられていますね。
その夜の我が家では…タコパー絶賛開催中
“タコの宴”が始まった!たこ焼きがてんこ盛りィ~食べホーダイ!
「タコ🐙まいうー♪」
まぁ、そんなこんなで第二夜、終了。
今宵はこれまでに致しとうございマスカット、食べた~い♪
(2700文字、Thank you for reading.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう
【魚釣りのススメ 1】釣り師とチャンネーと、おさかな天国は何処へ? <第一夜>「釣りを極めたい!?」
何だぁこのタイトル、フイッシングかよっ!
「だって、釣りネタ♡なんだも~ん!」←だいなし。
役に立つかどーかは、あなた次第ですっ !! ←丸投げ適当。
スタートにあたり、前説です。「昔語りを始めるようじゃ、男は終わりだべぇ」いや、案外そうでもないしね
実はですねぇ、いままではブログのセオリー「自分の好きなこと(得意分野)を書く」ことをなるべく避けていました。それは「釣りとか、園芸、山歩き、ゴルフやらダイビング」など、諸々雑多な「過去の趣味」に係わることでして。そんなものは描きネタに詰まった時にとっておけばいいや、と思ってました。
だいいちホントに“得意”と、言い切って良いのだろうか ??そこはかと不安が広がる。そして「下手の横好き、云々」という言葉が頭をよぎる。なんだかんだ、極力ブログでは避けようとした。自分の“好きなこと、得意な分野”で勝負するのが「ブログの王道」ならば、自分はあえて裏道を歩こうぢゃないかと。「人知れず裏山にも、山桜は咲く」のだよっ!と考えた訳で…?!
昨年チャレンジした結果、見事に七転八刀斎だよ、るろうに剣心だょ(イミワカランやん)リアルにそんなにエキサイトな出来事が、次々ある訳ないしね。
Say「ほらねイワんこっちゃないよぉ」イワンの馬鹿、バカバカぁ~!
え~と、うん。「釣りの話」だったっけ。
そう、テーマは釣り
なのだ。
昔のことわざに、こうあるよ…
『釣りを知らないことは、人生の楽しみの半分を知らないことだ』By へドン
いうよねぇ、それなら残りの半分は、チャンネーとよろしくや…まぁ「ゴルフ」かな。うんうん、きっとそうだよ。「釣りとゴルフ」昔からおやぢの二大お楽しみ、道楽だと思うけどもね。逆に言えば、ひと昔前まで女子供の付け入るスキがない「イカ臭っさ~いオヤヂ世界」だったのです。
想えば「釣りとゴルフの共通点」は、レジャーとしてのお気軽さが、まるでな~いことですね
例えば自然との闘いがある。容赦なく降り注ぐ紫外線、急変する雨風に、突然かぶる波飛沫、その挙句アミエビ汁まで、乱れ跳ぶとぶ~!! でも逆に、ゴルフボールは飛ばないのだケドね、初心者はね。ははっ!
中国の古い諺(ことわざ)にも、こうありますよ。
『一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。一ヶ月間幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい』そしてさらに、こう続くのです『一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい!』とね。
ありゃぁ、結婚してもわずか一週間しか幸福が続かないのですか。でも釣りは一生モンだよね。生涯ハッピーに暮らせるのだ。
ところが近年、それも崩れたかな。釣り場では女子供が竿振り回し「きゃいきゃい~♪」し、海上にも「釣りガール」なるものが発生している。
磯場なんか渡った釣りガール、例えばトイレはど~すんだろ?回りは海だよ、もう逃げ場はないよ!そしてゴルフ場にも「ゴルフガール」なるものが激増したらしいね。
よおし、もっかい書いておく!!
『一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい』だぞ!
個人的には「エエでないかい~、うんうん♪」と思うが、それを嫌う人もまた沢山いて、相対的にオヤヂの釣り人口を減らしたと思う。
親父共は「釣果より釣趣」を大事にしますからね。マナーとルールを知らない奴らが“釣場”を荒らす「釣り散らかし、ゴミ散らかす」ホントだよっ。
よく云う「悪貨が良貨を駆逐する」状況が生まれたんだ。でもね、その一方で若者(子供も)を導けなかった大人達や、売りっぱなしでアフターケアすらしない「釣り業界」にも、問題アルのではないかな。
昔、釣り場には必ずいたうるさい釣り場のヌシさんは、消えたね(でも怖い船長は、いまだに健在だ!)なんだかなぁ。
言うよねぇ「釣りを極めた~い!」でも“コミ障”は上達しない理由
コミ障が何故ダメなのか?それは釣りは「生きた情報が大切」で、釣り場でのヒトからヒトの情報収集が命となる。例えば、釣具屋店員(ちと怪しい)とか、漁師や釣り宿の船長からのサジェスチョンは、特に重要ですね。
自分が必要とする釣り方、釣場情報を巧く聴き出す「コミスキ」は必須要件となる。とにかく毎日、海や川に出ているヒトにかなう訳はないのだから。ところがね、釣り場でよく見かける光景ですね。
ぽつんと「アローン」これが清く正しい「真の釣り人の姿」なのですよ。
基本「釣り人は黙って水辺と対峙」しているものなのだ。つまり文明社会に背を向けて唯ただ、独り釣り糸をたれている『孤高の存在✨』
(※孤高…それは清く気高い精神。個人の社会生活におけるひとつの状況を指し、または一種の信念や美学に基づき、群れに属さず他人と離れ、それ故に必要以上に苦労も背負い込んでしまう。私利私欲を求めず、妥協することもなく「名誉」や「誇り」といった精神的なものを重視するあまり、周りが「気高さ」を感じて崇めてしまう現象でもあるのだ!)
そんな釣り知識や経験もない団地の奥さん(←なぜ団地)なら、まずこう思うのだろうね。
「あら、よっぽど人間嫌いなんだわぁ~アノひと!」
「キット偏屈オヤヂなんでしょ。でも鯵くれないかしら?」
「きっと変態なのよキモいわぁ、シッシッ!でも鯛くれないかしら?」
いつの世も、なかなか理解はされない「孤高の存在」というものは。古く歴史をひも解けば「イエス・キリスト」がいました。日本では「日蓮聖人」が有名でした。人々にそのドグマ理解されずに、ただただ迫害された歴史がある。←それ釣り人では無いですやん。そうだったね。
そうそう、なかには余りにも釣れないので「メディーション状態」におちいりなぜか覚醒、独自の「悟り」をひらく釣り人がいました。そんなヒトを指差して、いつしかこう呼ぶようになった「ボウズ」と。
「あいつボーズやで、坊主!!」笑 笑
ヒトを缶コーヒーみたいに、呼ばないで頂きたい。←それはBOSS!
さて「はじめての釣り」まるで「はじめてのおつかい」みたく
では、初体験の相手釣り物は、何が相応しいのだろうか?ワタシが思うに、なるべく身近な場所で、必ず釣れる魚がキット良いですね。ホント愉しいから。例えば初夏の「できハゼ」や秋の「小鮒釣り」とか、そんなところから。
何であれ釣れたらヘラヘラと「愉しくなってしまうのが釣り」。その一方、釣れないとですね「坊主か哲学者になってしまう」のが釣りのコワいところ。これ、マジで。それから昔より、釣り人生は「鮒に始まり、鮒に終わる」と云うのですよ。
それは「ふるさと」の唄にも登場するしね。
こりゃ、日本人の魂の遊びなんですかね?
♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢はいまもめぐりて 忘れがたき故郷 チャンチャン♪
【第一夜 まとめ】
魚釣りは一生の宝物となる趣味である。多くの釣り人は子供の頃に父親から手ほどきをうけて、その愉しさを知るのではないだろうか?
その時の釣果は忘れても、記憶の断片のひとつひとつは、何時もキラキラ✨と輝いているのだ。『Do the fishing 🐟ギョギョ!』
○続きは、コチラをどうぞ!「カニorタコ」それが問題だっ!
👏お👏め👏で👏鯛
今宵はこれまでに致しとうございまスルメイカ。☺
(3000文字、Thank you for reading.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう