紀伊ハンター Minminzemi-Jr

こんにちは!「Min 1号」と「Min 2号」のブログです。

和泉山脈に隠された、謎のモノリス「紀泉入会解消記念碑」その正体とは?!和歌山市 西庄【ずっと謎だった】

f:id:minminzemi81:20190603153859j:plain

和泉山脈紀伊半島を東西に走り、和歌山と泉南を二分する。修験道「葛城二十八宿の行者道※」もこの尾根筋あたりを縦走しています。 

(※葛城二十八宿(かつらぎにじゅうはっしゅく)とは、役の小角(行者)が「法華経八巻二十八品」を埋納したとされる経塚のこと。この経塚には青岸渡寺(熊野修験)七宝滝寺(犬鳴山修験)転法輪寺(葛城修験)聖護院(本山派修験)などの行者(修験者)達による行場や宿が点々とある。

友ヶ島から始まり、和泉山脈金剛山葛城山二上山を経て大和川の亀の瀬に至る葛城山脈(山脈自体を、葛城山とも呼ぶ)縦断する修験道の聖路である。

 

和歌山市と大阪泉南市の、県境に“謎の石碑”が建っていました

 

昔の行政区分でいえば「紀州泉州」地理的には別の国。でも住民感覚では、曖昧な国境線でしかなく双方とも、自由に裏山に立ち入っていた。

f:id:minminzemi81:20190603153444j:plain

紀泉入会解消記念碑

和歌山市西庄から、県道751を北へ猿坂峠目指し登って行く。ヘアピンの終わり、峠道から外れ右手の登山道へ入る。すぐに「紀泉入会解消記念碑」があった。

f:id:minminzemi81:20190604143207j:plain

石碑裏側

ここからは「新日鉄住金和歌山製鉄所」や「和歌山市街地」が、眼下に拡がり眺めがとても良い場所。しかしこの石碑は、どうしてこんなに立派なのか?まさに“謎のモノリス”ではないか!

f:id:minminzemi81:20190604143024j:plain

南方向は眺めよし

石碑の横にはベンチがあります。その前にはテーブルなのかな?お助け杖も完備されていました。地元の方の手作りと思われますね。

f:id:minminzemi81:20190603210549j:plain

東方向を眺める

「うん、いい眺めだっ!」

f:id:minminzemi81:20190603192042j:plain

 

この石碑は何百年にも渡る“闘争の歴史”を意味していた

 

この碑石が建っている意味、簡単に云えば元禄時代より「和歌山と泉南地域の血みどろの入山紛争が続いていた」そして数度に渡る話し合いの結果、昭和十年にようやく入会が解消された。そういった内容だったが、その当時の資料を読むと、ずいぶんと“根深い闘い”だったようですね。

三百年も続く係争なんてそうそうありませんよ。先祖代々連綿と、一歩もひくに引けない (((重大な事案))) だったのです!そうに違いない…怖。

(注/ちなみに入会権⇒“いりあひ”とは、地域の住民がそれまでの慣習に基づき、山林原野などを共同利用し、草木、薪炭材、鳥獣などを採取できる権利を云う)

f:id:minminzemi81:20190603154502p:plain

オラもうイヤだぁぁ~

当時の新聞記事を引用します。

見出し『流血の三百年史に見事・昭和の裁き 紀泉國境入會の分割騒動 八箇村民が手打ち』

本文元禄時代から三百年もの長い間 松茸山をめぐって大阪五箇村和歌山三箇村が 入乱れて血眼の争いをつづけてきた 紀泉国境入会山の分割騒動は本年に入り 急速度に円満解決への朗らかなステップを踏んでいたが、十七日午後三時大阪府泉南郡東信達村楠畑において 大阪側松沢農務課長天野技師並に東信達村ほか四箇村長、和歌山側梅田林務課長、内田技師及び山崎村外二箇村長等が会合して 最後の調停を進めた結果 ついに円満に妥協成立し目出度く手打となり ここに三百年の紛糾もヤット納めの幕をおろすことになった、徳川の昔 大阪府東西進達樽井外二箇村和歌山県山崎、小倉、根来の三村 合計八箇村の村民は 共有の入会松茸山を繞り先祖相伝で争いを繰り返してきたところ 元禄十四年稲葉守の調停で境界線を定めたが、その後 明治初年に至り元の共有山となり その後農林省でもしばしば調停に乗出し 大正十五年一旦解決したが、間もなく大阪、和歌山双方がこの調停を破ったため 争いは深刻となり遂に流血の騒ぎを見るに至ったので 堪まりかねて両府県当局が一昨年来妥恊に奔走の結果 ついに今回成立したものである』(大阪時事新報記事 昭和十年 1935年5月19日付)

えぇぇぇ?!マッタケ山をめぐって「三百年も闘っていた?」マジですかぁぁ~少し笑け☺ぷぷっ、三百年も、まったけ?!

f:id:minminzemi81:20190603155132j:plain

松茸山だった面影はないね

このあと、妙にキョロキョロして歩いたことは、秘密です…🍄 

 

あの有吉佐和子さんも、注目していたという事件なのです

 

また、この石碑は有吉佐和子の小説『助左右衛門四代記』にも登場します。この土地、木ノ本育ちの著者は、地元和歌山を舞台にした作品を沢山描きました。そのひとつです。

助左衛門四代記 (新潮文庫)

助左衛門四代記 (新潮文庫)

 

○あっさりあらすじ

妻が巡礼の白い犬をあやまって殺してしまう。「この家に七代まで祟ってやる!」白い犬が原因でおかしくなってゆく…そして七代にもわたる嫁取りの物語、それぞれが苦労をしながらも家系をつないでいく。有吉先生の描く紀州弁が、本当に美しいですね。

 

○この場所への行き方

最寄り駅は南海加太線西ノ庄駅」下車約20分位。さらに北に進めば「甲山」があります。地元では有名なヤマですよ。

f:id:minminzemi81:20190603205216p:plain

紀泉入会解消記念碑 周辺地図

○県道751号木ノ本岬線、和歌山側は綺麗な舗装道路だが、この県境越えると一車線の道、荒れた道路となる。さらに進むと「甲山」へと至る。

f:id:minminzemi81:20190603214828j:plain

こんな感じココから大阪府

f:id:minminzemi81:20190604144632j:plain

甲山へのアプローチ

f:id:minminzemi81:20190604144746j:plain

甲山山頂からの眺め

○甲山にあった看板「甲山山頂 212m 私の好きな山 日本ベスト100第4位」だって。ヤッパ濃ゆいよなぁ<笑

ジャジャ~ン♪おしまいデス☺

 

(2200文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう