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こんにちは!「Min1号」と「Min2号」のSeminarです。

佐久間信盛のお墓と、織田信長からの手紙【武将列伝】

織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された場所は、たしか高野山のはず??まさかこんな場所に墓があるとは、何故?! 奈良十津川に遊びに来てR168を走っていますと、たまたま「佐久間信盛の墓」との看板を発見した。

偶然、織田武将「佐久間信盛墓所」をみつけた!

 

おっ…看板がある「これ織田武将の、あのヒトのことかな?!」少し寄り道をしました。しかし、この武蔵集落への登り口を見落して、一度十津川温泉までスルーと通り過ぎてしまった。こりゃ、たいへん大変💦<笑

それくらいの山また山奥なのです。

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佐久間信盛の墓

○佐久間盛信のお墓/車でないと到達出来ません。R168より脇道(旧道)を東に入ってゆく。さらに武蔵集落への坂道を登ります。

○住所、奈良県吉野郡十津川村武蔵435 

 

佐久間信盛のファンキー・エピソード

 

○その一。朝倉義景への追撃を怠たり信長から叱責中のこと「…そうは言っても“我々のような優秀な家臣団”はなかなか居ませんぜっ!」と口答えして、信長をさらに“激オコ💢プンプン”にしてしまうアスペっぷりでした。

○その二。三方ヶ原の戦いの援軍に出向いた時のこと。信盛は武田軍を目の当たりにしてたちまち恐怖、真っ先に戦わず浜名湖付近まで逃亡し「織田信長を面目丸潰れ」にした。さすが「退き佐久間」の真骨頂ココにあり!ですね。

○その三。石山本願寺攻略の総大将を任された信盛は、一向に力攻めも謀略も仕掛けず、丸五年間たいした成果なくやり過ごす。勿論、最強雑賀衆が“強烈な鉄砲”で寄せ手を完全排除、その恐怖心たるやハンパなかった模様です。お気の毒。

 

その後の展開は… 

やがて信盛には、信長より「十九か条の折檻状」を突きつけられた。信盛はこの手紙を見て「もはやこれまでか…」と絶望感を抱いたのでした。

程なく嫡子・信栄とともに頭を丸め、高野山に入りました。

ところがその高野も追われ、自分の臣下にも見捨てられ、熊野の山奥で亡くなったときには信栄と、小者一人しかいなかったそうです。天正十年一月二十四日、熊野山中にて哀れ信盛、没す。

(※なお『佐久間軍記』には、この追放劇について「誰か(明智光秀)の讒言でもあった云々」といったことが書かれています。ムムっ、信盛ハメられたのか?!)

 

織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された理由とは…讒言?

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佐久間信盛

【もしも“織田信長株式会社”があったなら】

○本社は東大阪にあります。ある時、佐久間盛信常務のパソコンに、信長社長からメールが届きました。 (※以下、チョー適当な、大阪弁に翻訳してみました。)

 

<信長社長からの着信Mail>

用件:「佐久間信盛に言うとくで」

 

To サクやん♡へ

 

自分なぁ、全然あかんヤツやん。

七つもの国の支店長集めてやで、もうかれこれ五年かなぁ。

それで結局のところな、自分じぇんじぇん出来ひんかったなぁ。

あのヒッデーやミッツーら見てみ~な、よ~け手柄あるやん。

自分ここらへん手柄、じぇ~んじぇ~ん無いやんかいさ。

そらな、でけへんのはしゃーないわ、そやけどもやで。

出来ひんなら出来ひんなりに、ワイに相談したら、ええんとちゃうかぁ?マジで。

そやのにあんた、何もやらんとからに、ダラダラ包囲だけしてたヤン、あかんやっちゃ。

パートさんばっかこき使うて、自分の部下とかぜんぜん増えとらんちゃう?

なっ、そやでぇ、ほんで水野君のチームやけどな、自分に付けたったやんか。

あいつらじぇんぶクビだっか?アイツらめっちゃ強いんやで。

わりと見込み有馬温泉やったのにな。

ミッツーやヒッデー見てみい、ワイは感状何枚書いたと思てんねんな。

もう右手、腱鞘炎やでホンマに。

それで自分どないだ?すでに隠居でっか~?隠居ハンか(爆)

そらま~、そんなコト考えるちょる時かもしれんけども。

そやで、おまはんの跡取りの馬鹿息子の信栄か、アレなほ~んま評判悪いで。

自分あんなんに跡継がすんけ?ワイの部下とか支店長にやで、横柄な態度とってんのホンマ笑かしょんなぁ。

そうそう自分よりもっと年寄のゴン六ちゃんなんか、北陸支店スゲー頑張ってんで、ほんま。

ゴンちゃんなんか、跡取りの話もせーへんわな。

いまゴンちゃんえらい頑張ってんでぇー。

いや、たまには負けるわな。そら、しゃーないわ。

いくさは勝ち負けちゃうし、けっきょくのところ、ヤル気やんけ、ヤル気ィ~。

昔からな「ヤル気ィ~、元気ィ~、猪木ィ~!!」イェイ、ボンバイエー!

しょーみのハナシ、このままやったら自分アカンで。マジ卍で。

サクやん、ほな死ぬ気で大手柄たててみ、それか…切腹でもしてみる?

ほなら、身の振り方YoーYoー考え天下。

ワイは、じぇたいゆるしまへんぇ~!!

 

第六天魔王 織田信長 (天下布武)

  

佐久間/信盛(のぶもり)/出羽介/右衛門尉

織田信長によるこの「折檻状の一件」で、織田氏を離れるまでの三十年間、織田家臣団の“筆頭家老”として家中をまとめ重宝された。尾張国の出身、若い頃から信長に仕えて軍事と外交で活躍した。信長に従って各地を転戦し、織田家の主だった合戦に参戦した。殿軍戦(撤退戦)を得意としたことから「退き佐久間」と呼ばれ、戦巧者でもありました。天正十年一月二十四日、熊野山中にて没。信長も追放した信盛がすぐに亡くなったと知ると、さすがに“息子の信栄”のことは赦免してやっています。そして唯一の救いは、ずっと離れずにいた小者はその忠義を賞され、その後士分に取り立てられたそうです。

 

(2100文字、Thank you for reading.)