紀伊ハンター Minminzemi-Jr

こんにちは!「Min 1号」と「Min 2号」のブログです。

真夏のお祭り「第51回ぶんだら節2019」と「第16回おどるんや紀州よさこい2019」和歌山城周辺【夏祭り】

昭和四十四年に『紀州踊り ぶんだら節』が始まりました。また『紀州よさこい』は、平成十六年からのスタートです。いまや和歌山市おける“真夏の風物詩”となりました。

 

市民に愛され続ける、伝統あるお祭り『紀州踊り ぶんだら節』

 

紀州の夏の始まりを告げる、花火大会『港まつり』紀州踊りの『ぶんだらぶし』と『 紀州よさこい祭り』は、和歌山市における「三大お祭りイベント」へと成長しました!

(※「夏の花火大会」の最初は、享保十八年のこと。疫病・大飢饉があり、亡くなった方々への慰霊と悪疫退散を祈念する「水神祭」その時に“打上花火”をあげたことから、夏に定着した)

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ご存知、和歌山城です

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和歌山港まつり花火大会

紀州の偉人「紀伊國屋文左衛門」にちなんだ「紀州おどり」ですが、踊り子が和歌山城周辺を練り歩き、毎年大勢の人々で会場がにぎわっています。

そして「ぶんだら節」。この歌詞は、和歌山人なら皆んなが知っています。高校の体育祭で、ぶんだら節を“やらされた想い出”があるくらいだからね。笑

 

♪ツレモッテ コイコイ ソリャ モッテ コイコイ

どんと乗りきる 遠州灘は ぶんだらぶって こい こい

おとこ 花道 みかん船

ソリャ ヨイ ヨイ ドント ブンダラ ブッテ

コッチャ ムイテ コイ コイ ツレモッテ コイコイ

ドドント コイ コイ ヤレ イケ ソリャ イケ

ドント ドンント ドント シャン シャン シャン♪

 

ぶんだら節を文字に起こすと、まるで“謎な呪文”のようですが…まあこんな感じなのです。

○『正調ぶんだら節』の踊りの様子、けやき大通にて。

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今回(2019)のぶんだら節のトップ連は、地元アイドルの「Fun×Fam」が務めたそうです。そうだったのかぁぁぁ、知らなかった。

○「ぶんだら節」と「紀州よさこい」会場周辺地図(けやき大通、西の丸、砂の丸など)。

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和歌山城北「けやき大通」が会場となる

子供の頃から慣れ親しんだ「ぶんだら節」ですが、しかし今回は「紀州よさこい」のレビューがメイン、写真もたっぷり大盛りです。

 

さて、令和元年 八月三日・四日に開催「紀州 よさこい

ホントに熱い、暑い、お祭りでした!八月四日の日曜日に「紀州よさこい」に行きました。この日が最終日となります。パレード会場の「けやき大通」に到着したのは午後五時。もちろん暑さを考慮してですが、熱風が前から吹いて来ました。

『けやき大通り演舞場』

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「どん、どど~ん!!」

地方車のスーパーウーファが、ビルにガンガン響いています!警備員の方も暑さで、うなだれています。そして路面に熱風がドカドカ吹き抜けてゆく。

立ってるだけで汗が出てきます。こんな日は和歌山弁で『にってんこぼし』と云うそうですが。あの太陽が、地面にまで落ちてきたそんな感じですね。

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和歌山城北側、けやき大通

けやき大通パレード「華鹿」の皆さんの演舞が始まった。奈良県のチーム。メイク、衣装ともバッチリ決まっています!何より笑顔が明るいね。

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“水を差す”ようですが…< 気づいた問題点 >…“水を撒く”べきです。

 

この暑さ、散水車で打ち水💦ぐらい撒いたらいいのにね。ミストとかねイイな。あとね、地方車の排ガスが風に乗り顔に届く、コレは気持ち悪いよ。やはり地方車は「電動トラックを使うべき」だね。ホントそう思う。この場所に来る前には、救急車が走っていました。たぶん“熱中症の搬送”と思われますね。(小声)

 

さて「よさこい」とは、“夜さり来い”という古語から来た言葉だそうです。なのでこの祭りは「夜こそ本番!」なのです。真昼は演者も観客も、かなり辛いよね。

(※「夜さり」は“夜分とか今夜”という意味あいで、九世紀末から使われていた言葉。『さらに“夜さり”この寮にまうで来とのたまいて』竹取物語)

 

西日がキツくて逆光です。すこし撮影が厳しくなってきた。「仏喜踊」ぶきよう、四天王寺大学のチームです。演舞も抹香臭い日本の伝統をリスペクト!したものになってますね。

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この大旗の捌き方も重要なポイントとなります。

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おどるんや「紀州 よさこい祭り 2019」まつりのルーツは、高知県にある。土佐『よさこい祭り』の始まりは、戦後の傷も癒えぬ高知県民を元気づけようと、昭和二十九年から始まったそうですよ。さて、次は「日赤 おどり隊」の皆さんの演舞。

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「赤傘の師匠連」が気になります!まさかのスゴ技を、炸裂させるのでしょうか?

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さぁ、和歌山城をバックに止まったぞ。ボールとか廻すのでしょうか?!

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あ、なるほど、そう来るか。ふつーでした。

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次は、アピール抜群「てんてらてん」の皆さんの演舞です。チームカラーで統一した衣装「コスプレ」は、よさこいの見所のひとつですね。

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はい、カメラ👀目線ありがとう!

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奇抜な衣装、メイクで踊りまくる、まさに傾奇者!自己表現することの大切さが伝わって来ます。お子ちゃまだって参加してるよ!子供よさこい「チーム・パエリア」

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元気炸裂!センターの元気印の娘に、メダルをあげたい!

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これは、未来を感じさせる演舞ですね。

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気になったのは、沿道観客の少なさ。もちろんこの「暑さ」に耐えられないからだと思う。わたしも既に、汗でぐっしょりなりました。

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水分補給のため一時後退。でも、もったいないよなぁ、素晴らしい演舞やってるのにさ。日没時ですね、この時は。多慌てでカメラデータを仕込み直したらアンダーに落ちちゃった。さて、ここで。少し調べてみました「土佐のよさこい」のはなしです。


土佐のよさこい祭り、その始まりのはなし

 

土佐『よさこい祭り』の始まりは、不景気を吹き飛ばし市民を元気づけようと、昭和二十九年に「高知県で始まったお祭り」でした。「第一回よさこい祭り」の参加人数はわずか750人、参加団体は 21団体だったという。

それがいまでは、八月中旬に踊り子が華やかな衣装に身を包み、150団体、約一万六千人が乱舞する「土佐を代表するお祭り✨」に成長しました。

引用文『土佐よさこい祭りは、毎年八月九日の前夜祭を皮切りに十・十一日は鳴子踊りの本番、十二日には後夜祭とよさこい全国大会(※和歌山からも数チームが参加します)が開かれます。また九日には、鏡川河畔で華麗な花火大会も開催されます』(高知市観光協会HPより)

今年も高知城下を舞台に「情熱のよさこい祭り」が始まります。

そしてこの祭りは、高知から日本の各地へと拡がり、さらに海外でも開催されているそうです。とても素晴らしいお祭りに成長しました。

○フランスはパリでのよさこい“HINODEMAI”です! 曲目は何と、パリジャンが『Agara』♪

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○余計なハナシ/むかしより、土佐の女性は「はちきん」といわれている。経験上、とんでも無く“ウワバミ”なのでなかなか油断がなりません! そして肉好き系(何故?)が多いような気が…何でも、男には二個しかないモノが、八つも「金○」持っちょると…八金。

「舐めたらいかんぜっ」例えば『竜馬がゆく』の龍馬姉「乙女姉やん」を想い描いて頂くと…まあ、そんな感じですかね。

 

ドン、ドンドン、ドン…

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エイサー隊がやってきた

エイサーの太鼓が近ずいてきた。伝統オキナワの盆踊り?いや先祖供養なのかな?この独特の動きとリズムは、大好きです。「エイサー祭り」も広まって欲しい演舞ですね。

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兄貴にアイコンタクト☆されてしまった!

次の演舞は、“少し地味な感じ”がする出し物「トルコと日本の交流」がテーマとか。串本であった「エルトゥールル号遭難事件」を素材にしているみたいですが。しかし舞踏表現が…何だか分からん!

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それで、緑のヒトに注目していたら…

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ダッシュされてしまう。ありゃりゃ~

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踊りが少しグダグダなところもあり、でも愉しそうだ。

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和歌山大学よさこいサークルの「和歌乱」わからん、皆さんの演舞でした。

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派手な煽りの地方車が来た

凄い熱量が近づいてきた…「アンタらぁぁぁ、これが最後やでぇぇ~ぇ~わかっギギゴゴガガ◇#△×☆@」お叫び、叫んでいる!思わず地方車を撮ってしまった。

提灯持って踊る演舞、これ大好き。日没し黄昏時、祭りは最高潮です。一気に幽玄な舞台に早変わりしました。

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「喜笑華」の皆さんです。はい、構えて!

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ドドド~ン!!

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ドド~ン!いい顔しています。

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続きましてチーム「乱痴気」の登場です。

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提灯をフリフリ踊ります

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キメっ!
 

ざっくりと「よさこいまつり」について 

 

○このお祭の主なルールは…わりとシンプル

①踊り子が手に持つ楽器『鳴子』を持つこと。

よさこい節の一節を必ず入れること、のみ。

(※この自由さが人気の秘密でもあり、拡散力の要因となった)

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○演舞スタイル

大切な要素「髪型、衣 装、メイク、振り付け」などは、それぞれのチームが色々と工夫を凝らし、観客を飽きさせません。各チームで統一した、カラフルな「和風コスプレ」は、よさこいの魅力のひとつですね。

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地方車(じかたしゃ)

パレードでおどる踊り子隊の一番前を、華やかに装飾した地方車(デコトラ、1トン車)が、ゆっくりと進む。車の上からはマイクの「アオリ」や「和太鼓や楽器」で盛り上げます。地方車の仕掛けや装飾にも、各チームが色々な知恵を絞ります。

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地方車賞 華酔組

○大旗(おおはた)

踊り子隊の前後の位置にて、色とりどりなチームフラッグで士気を鼓舞します。風が強い日は、見るからに旗士は大変そうです。それをものともせず、大空に美しく翻る大旗はカッコイイです!心がワクワクしますね。

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翻る大旗、ワクワクします

暗くなると地方車のライトだけとなり、かなりシャッターも重くなる。ラスト近くにはよさこい猛者達の演舞が続くのだが、激しい動きはカメラがもう追いつけない。これが残念ポイントとなった。光量不足ですね。

 

和歌山城にある「砂の丸演舞場」に移動します

 

ふぁ~、熱気でフラフラになったよ。和歌山城砂の丸広場には、大きい舞台が組んでありました。昼間にはここで、よさこい演舞が行われていたそうです。

紀州よさこいには「総踊り曲」があります。踊り子、観客全員で踊れる曲です。昨年あたりから『アガラ』和歌山弁で“私達”といった意味の曲が新たに登場しました。

○総踊り曲『アガラ』参加者全員で踊ります! (2019年の様子)

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今年は熱量が違っていた。ほらおねーさんの「目からビーム」まで出てるし!

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○そして続いて『Yappa紀州』 で大会を〆ました! (2019年の様子)

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♪やっぱ紀州~やっぱ紀州~そうじょな やっぱ紀州~よいやっさ♪

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○さて、いよいよ第十六回「紀州よさこい三賞」発表です!

♪~ダララララ、ジャ~ン♪

 

▷おどるんや 銀賞(市長賞)は…『夢天翔』

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▷おどるんや 金賞(知事賞)は…『華酔組』

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▷おどるんや 大賞は……『紀州龍神

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それぞれが受賞しましたっ!

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受賞チームの皆さん、おめでとうございます! 参加された方々もお疲れ様でした。

よさこい祭りはまだまだ続きます。

 

○余談/祭がはねて、南海和歌山市駅まで歩いた帰り道。その道程のこと。何故かわたしの頭の中に流れていたのは『長く短い祭り』だった。

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天上天下 繋ぐ花火哉 万代と刹那の出会ひ 

忘るまじ 忘るまじ 忘るまじ 我らの夏を~♪

 

参考/高知市観光協会HP、紀州おどるんやHP、ウキペディア

(4600文字、Thank you for reading.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう

和泉山脈に隠された、謎のモノリス「紀泉入会解消記念碑」その正体とは?!和歌山市 西庄【ずっと謎だった】

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和泉山脈紀伊半島を東西に走り、和歌山と泉南を二分する。修験道「葛城二十八宿の行者道※」もこの尾根筋あたりを縦走しています。 

(※葛城二十八宿(かつらぎにじゅうはっしゅく)とは、役の小角(行者)が「法華経八巻二十八品」を埋納したとされる経塚のこと。この経塚には青岸渡寺(熊野修験)七宝滝寺(犬鳴山修験)転法輪寺(葛城修験)聖護院(本山派修験)などの行者(修験者)達による行場や宿が点々とある。

友ヶ島から始まり、和泉山脈金剛山葛城山二上山を経て大和川の亀の瀬に至る葛城山脈(山脈自体を、葛城山とも呼ぶ)縦断する修験道の聖路である。

 

和歌山市と大阪泉南市の、県境に“謎の石碑”が建っていました

 

昔の行政区分でいえば「紀州泉州」地理的には別の国。でも住民感覚では、曖昧な国境線でしかなく双方とも、自由に裏山に立ち入っていた。

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紀泉入会解消記念碑

和歌山市西庄から、県道751を北へ猿坂峠目指し登って行く。ヘアピンの終わり、峠道から外れ右手の登山道へ入る。すぐに「紀泉入会解消記念碑」があった。

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石碑裏側

ここからは「新日鉄住金和歌山製鉄所」や「和歌山市街地」が、眼下に拡がり眺めがとても良い場所。しかしこの石碑は、どうしてこんなに立派なのか?まさに“謎のモノリス”ではないか!

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南方向は眺めよし

石碑の横にはベンチがあります。その前にはテーブルなのかな?お助け杖も完備されていました。地元の方の手作りと思われますね。

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東方向を眺める

「うん、いい眺めだっ!」

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この石碑は何百年にも渡る“闘争の歴史”を意味していた

 

この碑石が建っている意味、簡単に云えば元禄時代より「和歌山と泉南地域の血みどろの入山紛争が続いていた」そして数度に渡る話し合いの結果、昭和十年にようやく入会が解消された。そういった内容だったが、その当時の資料を読むと、ずいぶんと“根深い闘い”だったようですね。

三百年も続く係争なんてそうそうありませんよ。先祖代々連綿と、一歩もひくに引けない (((重大な事案))) だったのです!そうに違いない…怖。

(注/ちなみに入会権⇒“いりあひ”とは、地域の住民がそれまでの慣習に基づき、山林原野などを共同利用し、草木、薪炭材、鳥獣などを採取できる権利を云う)

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オラもうイヤだぁぁ~

当時の新聞記事を引用します。

見出し『流血の三百年史に見事・昭和の裁き 紀泉國境入會の分割騒動 八箇村民が手打ち』

本文元禄時代から三百年もの長い間 松茸山をめぐって大阪五箇村和歌山三箇村が 入乱れて血眼の争いをつづけてきた 紀泉国境入会山の分割騒動は本年に入り 急速度に円満解決への朗らかなステップを踏んでいたが、十七日午後三時大阪府泉南郡東信達村楠畑において 大阪側松沢農務課長天野技師並に東信達村ほか四箇村長、和歌山側梅田林務課長、内田技師及び山崎村外二箇村長等が会合して 最後の調停を進めた結果 ついに円満に妥協成立し目出度く手打となり ここに三百年の紛糾もヤット納めの幕をおろすことになった、徳川の昔 大阪府東西進達樽井外二箇村和歌山県山崎、小倉、根来の三村 合計八箇村の村民は 共有の入会松茸山を繞り先祖相伝で争いを繰り返してきたところ 元禄十四年稲葉守の調停で境界線を定めたが、その後 明治初年に至り元の共有山となり その後農林省でもしばしば調停に乗出し 大正十五年一旦解決したが、間もなく大阪、和歌山双方がこの調停を破ったため 争いは深刻となり遂に流血の騒ぎを見るに至ったので 堪まりかねて両府県当局が一昨年来妥恊に奔走の結果 ついに今回成立したものである』(大阪時事新報記事 昭和十年 1935年5月19日付)

えぇぇぇ?!マッタケ山をめぐって「三百年も闘っていた?」マジですかぁぁ~少し笑け☺ぷぷっ、三百年も、まったけ?!

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松茸山だった面影はないね

このあと、妙にキョロキョロして歩いたことは、秘密です…🍄 

 

あの有吉佐和子さんも、注目していたという事件なのです

 

また、この石碑は有吉佐和子の小説『助左右衛門四代記』にも登場します。この土地、木ノ本育ちの著者は、地元和歌山を舞台にした作品を沢山描きました。そのひとつです。

助左衛門四代記 (新潮文庫)

助左衛門四代記 (新潮文庫)

 

○あっさりあらすじ

妻が巡礼の白い犬をあやまって殺してしまう。「この家に七代まで祟ってやる!」白い犬が原因でおかしくなってゆく…そして七代にもわたる嫁取りの物語、それぞれが苦労をしながらも家系をつないでいく。有吉先生の描く紀州弁が、本当に美しいですね。

 

○この場所への行き方

最寄り駅は南海加太線西ノ庄駅」下車約20分位。さらに北に進めば「甲山」があります。地元では有名なヤマですよ。

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紀泉入会解消記念碑 周辺地図

○県道751号木ノ本岬線、和歌山側は綺麗な舗装道路だが、この県境越えると一車線の道、荒れた道路となる。さらに進むと「甲山」へと至る。

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こんな感じココから大阪府

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甲山へのアプローチ

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甲山山頂からの眺め

○甲山にあった看板「甲山山頂 212m 私の好きな山 日本ベスト100第4位」だって。ヤッパ濃ゆいよなぁ<笑

ジャジャ~ン♪おしまいデス☺

 

(2200文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう

和歌山市 岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C57 119」と「和歌山軌道321号」について【思ひ出車輌】

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和歌山城 岡口門
桜舞い散る和歌山城の岡口門から、三年坂通りを南へ渡ると岡公園があります。いつもここに来ると懐かしい気持ちが蘇ります。

和歌山市民から、愛され続ける岡公園です

 

和歌山城の南側にある「岡公園」は、和歌山市民なら一度は遊んだことがあるはずです。少し高くて「急角度の滑り台」が大人気で、何時も子供達の声がたえません。

 

また盤山「天妃山のテッペン」にも登ったのではないでしょうか?子供心に冒険気分になれましたね。裏の天妃池でのザリガニ釣りとか。

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丘公園入口にある石碑

岡公園に静態保存されている、蒸気機関車「C57119」です

 

懐かしの蒸気機関車「C57シゴナナ」です。紀勢線全通の昭和三十四年に、和歌山機関区に配属。その頃の和歌山機関区には、6、61、78の姉妹機も一緒に居たそうです。

 

ワタシも幼少期に乗った記憶が(うっすらと)あります。ずいぶん興奮してSLの絵を書いた。確か賞まで貰ったので、この車輌をよく覚えていました。

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丘公園に保存されているC57

紀勢線時代は特急「くまの」の牽引があり、集煙装置、重油併燃改造、ボイラ前端角化されて、以後紀勢線のSL廃止となる昭和四十八年まで活躍、退役後は岡公園にて美しく静態保存されています。

 

<和歌山県内で保存されているC57車輌>


○C57-7号機、和歌山県田辺市会津児童公園内
○C57-110号機、和歌山県橋本市、橋本運動公園内
○C57-119号機、和歌山県和歌山市、岡公園内

 

○貴婦人C57の勇姿✨をご覧下さい(昭和43年~47年撮影)

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(※元国鉄和歌山機関区のOBである「田中一郎」さんが整備されています) 

 

南海和歌山軌道「321号」、通称ちんちん電車

 

皆んなから愛された、通称ちんちん電車(南海和歌山軌道)の321号も、岡公園で一緒に保存されています。昔は和歌山市民の足として、また景勝地和歌の浦への観光路線として大活躍しました。

 

昭和四十六年三月三十一日、路面電車廃止の日。営業運転が終了後、さらに車輌留置のために空車にて回送された321号が0時25分、和歌浦口停留所へ到着。ここにすべての路面電車の運行が終了しました。

 

和歌浦口」行き先表示されたまま、岡公園で時が止まっています。

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南海和歌山軌道 321号

保存車輌はここ岡公園と海南市にわずか二車輌が、残っているだけです(海南市、室山児童公園に322号がかろうじて残存)。他の車輌は和歌山の海の底に、漁礁として沈められ眠っています。これは愚かで悲しい“鉄道黒歴史”ですね。

 

▽在りし日の市電(和歌山軌道)の姿です(46年3月撮影)

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新しく移築された「長屋門」で、岡公園の印象が少し変わった

 

岡公園の北東側。いまに残る紀州和歌山藩の中級武士の屋敷門です。白黒格子がらの海鼠壁が目を引きますね。なんだか妙に白くて新しくなった。

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以前は堀止にあった長屋門

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裏側にはこんな感じに

それもそのはず移築に伴い、新しい建材を使いリニューアルされていた。

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岡公園付近の地図

和歌山城観光の最後に、ぜひお立ち寄りください。

懐かしい想い出もよみがえりますよ。

 

(1300文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう

ハマの番長こと「早乙女ニャンだのすけ」がやって来た!!和歌山 西脇漁港にて【猫にゃん】

漁港で“漁船の撮影”をしていた時のハナシです。夕方の柔らかな光と影、これはいいですねぇ。風もなく穏やかな天気で、こんなのを“明鏡止水”というのでしょうか。四字熟語は、何かよく分かりませんが。

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西脇漁港の夕景

それで“絵画っぽい感じの画”にしたくて、色々構図を考え撮影をしていたのですね。

鼻歌で名曲「冬のリヴィエラ」唄いながらだけど(笑)ナンダそれ、遠藤かよ。

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漁船のこんな感じとか

♪「冬のリヴィエラぁぁ~ 男ってヤツはぁ~ 港を出てゆく船のようだね哀しければ 哀しいほどぉ~ 黙りこむぅもんだねぇぇぇ~」…オワリ。

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このような漁港の写真です

我ながら“素晴らしい写真✨”が、撮れましたね! 自画自賛しとこ―。

 

ハマの番長「早乙女ニャンだのすけ」とは?!

 

次に漁船の船底が気になって、裏側を覗き込んでいたのです。するとですねぇ、突然向こうの方から、ドラ猫さんがとっとこ走って来るではないですか。

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疾走してくるニャンコ先生

見ればなかなかの“オトコマエな面構え”をしていました。漁師町に相応しく、天下御免の向こう傷まで持っているぞ。こりゃ決め台詞は「天下御免の向こう傷、パッ!」だね。

とにかく迫力満点なヤンチャ系ドラ猫だったのです。

🐱「にゃんだ、にゃんだ~?」とっととトト…ピタ!うずくまり。

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何かを考え中ですね

🐱「ふ~にゃ…たいくつで仕方がないにゃ」

しばらく何かを考え中のご様子。

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手前でうずくまり様子見

🐱「ふにゃ!!お主、カメラマンにゃのか!!」

ワタシの手にしているカメラを見つけたようです。

🐱「眉間に冴ゆる三日月形、天下御免の向こう傷、ニャ!」

すると意を決したかのように、こちらに近ずいてきたニャンだのすけ。

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突然立ち上がり歩き出す

🐱「羽川流 猫眼崩し!  “回転ダブル猫パンチ” 一指し舞うにゃ~!!」

おおっ、凄いぞっこれが必殺技なのかっ?!

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突然回転しだしたニャンだのすけ

突如、回転するニャンだのすけ、ぐるぐるぐる🌀速くて追いつけない。

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ピタリ止まった。決めポーズか?

🐱  シュタッ!「ふぅぅ、決まったニャ…」 

荒技を披露して疲労したのか、しばらく動かなかった。

 

なるほどそうか、思い出した一年前の記憶 

 

「あぁ、お前かぁ?」やっと思い出しましたね。

このドラ猫はたしかローソンの駐車場でいた“トラとクロの子供”なんだ。

久しぶり、ずいぶん大きくなったねぇ。そうだったんだぁ。

 

その時の話は、こちらに書いています。 ↓↓↓

minminzemi81.hatenadiary.com

とにかく迫力満点な“港町ヤンチャ系ドラ猫”なのでした。

 

○マシュマロをやっていますよ。コメントをどうぞ↓↓↓

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 (1100文字、Thank you for reading.)

梯子獅子舞で有名な「木本八幡宮」神武東征まで遡ると云う歴史的な神社です。和歌山市 木ノ本【神社仏閣覚書】

今年の初詣は、和歌山市木ノ本にある「木本八幡宮」にやって来ました。本八幡宮は「厳橿山 (いつかしやま)」の中腹にあります。その麓には仮宮の「権殿(ごんでん)」があり、毎年ここで「木ノ本の梯子獅子」が行われることで、古くから信仰を集めた歴史ある神社です。

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本八幡

 

まず「日前國懸神宮の鎮座伝承」について

 

神代の歴史から。『紀伊国造家 旧記』によれば、“神武天皇の東征”にさいして「二種の銅鏡」をたずさえ「天道根命(あめのみちねのみこと)」が、紀州“加太浦”に上陸したと謂います。

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加太紀淡海峡

そして加太よりこの地 木本へと銅鏡は移り、その後には琴ノ浦へ移ったことを、旧記は伝えています。さらにこの銅鏡は秋月にある「日前宮國懸神宮御神体」となりました。その流転の場所「加太浦」と「木本」は、それぞれ『加太 春日神和歌山市加太』に、そしてこの地『木本八幡和歌山市木ノ本』と、比定されています。

(※加太 春日神社の旧社殿は、南海加太駅の山の上にありました。)

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木の鳥居、石段が拝殿まで続く

また海南にある「琴ノ浦」は、毛見崎の付け根から広がっていた砂洲浜。対岸の冷水浦に向かって三メートル程の高さの大岩が立ち並び、波が打ち寄せて“琴の音”のように響いていたために「琴ノ浦」と名ずけられたという。『紀伊風土記』によれば「日前 國懸 神宮」が鎮座した浜であるので汚穢不浄の者を近づけず、もしその禁を破らば「祟りがあった」と。現在は埋め立てられてその姿を変え「新日鉄住金の海南工場」と「関西電力発電所」さらには、沖合に「マリーナシティ」が建っていますよ…これ、大丈夫なのでしょうか??

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御不浄は清めねばならない

また『紀伊国造家 別伝』には、天道根命が「日前 国懸 両大神」を奉じて「淡路国 御原山」に天降り、芦毛の馬に乗って「加太浦→木本→毛見浦」へと遷った、とも謂伝えています。

この時に天道根命が「日前 国懸 両大神」を「厳橿山の橿の木の根本に祀った」のを起源であるとし、そこから神社名が「木本の宮」となり、そしてこの地名を「木ノ本」と名付けたといいます。

これは、木の根元に御神体を祀る、古代の神社の在り方が判りますね。

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権殿の前は駐車場になっています

現在は厳橿山のふもと一帯に住宅街が広がりますが、往古は山麓直下まで海岸線が迫っていました。紀ノ川河口で天然の港でもあったこの場所に、社殿があったのですね。

確かにこの辺りは砂地の土地柄、なるほどと頷ける話です。

(出典元『國造家古き傳に「道根命」大神宮を奉じ“淡路國御原山」に天降り葦毛ノ馬にのりて「賀太」より來り「木ノ本」に到りてしばらく斎奉り又「毛見郷」に遷し奉り「國造大名草彦」の世にいまの宮地に遷し奉る時「木ノ本郷」御鎮座ノ地の土を運ひ來りていまの宮地に築き<中略>木ノ本山ともいふ社地に汚穢の物あれは其土を取棄て此山の土をめてきよむといふ』と記されている。『紀伊風土記』より)

 

本八幡宮に伝わる、神功皇后説話とは 

 

誉田皇子(後の応神天皇)は忠臣 竹内宿禰とともに、この木本に上陸して“頓宮(仮宮)”を営み、“しばらく滞在して難を逃れた”という故事があります。

その後、欽明天皇の勅命により、その頓宮跡に“しばらく滞在した”ことに因んで「芝原(しばはら)八幡宮」が創建されました。

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社地には自然林が拡がっています

その謂れとなった話です。神功皇后三韓征伐を終えて都へ凱旋の途中、自分の誉田皇子の異母兄にあたる「香坂皇子、忍熊皇子」が畿内にて反乱を起こしたと聞きました。彼らは“誉田皇子の誕生”を知り、神功皇后らがこの“赤子を太子に推戴する”ことを察知し、東国から秘かに兵を集め挙兵したのです。

(※年代はいまだ確定していない。そのため神功皇后の活躍“三韓征伐のあった年代”およびその“史実の妥当性”についての研究が続いている。倭国新羅をはじめ朝鮮半島に侵攻した記録は、朝鮮の史書三国史記新羅本紀や高句麗における『広開土王碑文』などにも記されており、2011年には新羅が倭朝貢国であったと記されている『梁職貢図』が新たに発見されている。以上、ウキペディアより抜粋)

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木の鳥居をくぐると右に手水舎がある

その忍熊皇子たちの動きを知った皇后は、いったん紀伊国に迂回して「誉田皇子をこの地に預け」また北上を開始した。それを知った忍熊皇子は、一度撤退して山背に陣を構えなおし“決戦の場”としました。

しかし、皇后軍の指揮を執る武内宿禰は謀略により、忍熊皇子をついに琵琶湖まで敗走させ、撃ち破ったのでした。

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青龍の手水舎

 

本八幡宮と芝原八幡宮が合体したと云うのです

 

それから遙かに降った元和四年(1618年)「山中の木本・裾野の芝原」の両宮が、一体化して「木本八幡宮」と称するようになったといいます。

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石段が山のなかに続いています

元和四年といえば、紀州徳川家 徳川頼宣公がお国入りした頃ですね。前代の権力者、豊臣秀吉の焼き討ちにより荒廃した社殿の復興支援した、ということでしょうか。栄枯盛衰繰り返し、いまがある、と。

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左側に社務所があります

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拝殿へ着きました

 

謎すぎる“萬葉集の歌碑”があった

 

本八幡宮の拝殿前に『萬葉集』の歌碑がある。斉明四年(658)に女帝の白浜行幸のお供をした額田王が「厳橿の木本の宮に参拝して作った歌」として歌碑を建てている。これは気になりますね。

額田王は謎のひと。生没年も不明、通説では大海人皇子(天武天皇)と結ばれて、十市皇女を生む。兄である中大兄皇子(天智天皇)にも愛されたらしい。その天智天皇崩御により「壬申の乱」が起こる。

すると額田王天智天皇の皇子である大友を見限り、大海人皇子についた。とにかくミステリアスな女性でした。

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拝殿横に歌碑がある

<巻一 第九番目>

“紀の温泉(牟婁の湯)に行幸し時、額田王の作れし歌”として

『莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新可本』

…という難訓難解な歌なのです。昔から萬葉集の研究者からは“定説が無い句”と言われてきたのですが。これはもう、本気の暗号文カモ?!この歌碑には、下の句を「吾が背子が、い立たせりけん厳橿が本」とよむらしい、と書かれていました。

「う~ん、しかし何だか判りませんね。」

 

やはり「木ノ本獅子舞」が一番有名ですね

 

秋空の下、十月に例祭「梯子獅子」が執り行われます。近隣からも多くの人々が集まり、毎年賑わっています。一度ご覧になってみませんか?

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木本の獅子舞 (和歌山市HP 観光課)

本八幡

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主祭神応神天皇神功皇后、日孁大神」

本八幡宮は古より皇室、源氏、徳川家を始め、広く民衆にまで崇敬されています。

木本の獅子舞/2018年度の様子

YouTube

○開催日 10月中旬

○開催場所 木本八幡宮 権殿前広場にて

○問い合わせ先 木本八幡宮(電話 073-451-5915)

 

(2800文字、Thank you for reading.bon voyage.)#なんて素敵な和歌山なんでしょう