Minminzemi-DKのブログ

Min1号とMin2号のSeminarです。主に和歌山を発信します!

【食べもん】和歌山には伝統食“中華そば”がある! ラーメンなんかじゃないよっ!!

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中華そばのドレスコード。有り体にいえば、スープはあっさりスッキリ豚骨醤油系、麺は黄色細ストレート麺(チョイ固茹で)、さらにトップにはチャーシュー(豚もも肉)、シナチク、ナルト、ネギが載る。更に加えても茹で卵である。これが王道、神五品と呼ばれる具なのだ。これら以外がグダグダ載りだすと、邪道に堕ちる! 麺喰いたるもの、心せねばならないのである。

 

正調“中華そば”は、古き良き昭和の薫りがするよっ! のココロ。

その名前はやはり“和歌山ラーメン”ではないのだ。地元的にはあくまでも「中華そば」なのである。発注時には正しく「ちゅうか」と、言うのですよ。まして“わかやまらう~めん”などと言うオカマが腸捻転したかのような呼び名は、マジで勘弁なのであります。

中華そば屋の店内では「チッ、またかよ~他所モンがぁ…」とジト目で見られたりするので、観光客の皆さんは発注時には要注意なのでありますね。

 

ガラガラッ! いきなり 「おばちゃ~ん、中華ふたつしてぇ~!」だ!

 

この写真のお店は「まるひら」です。

和歌山市の北西にあり、観光客にもあまり知られてはいないが、丸系(後述)の隠れ名店ナノだ。ババァおねーさんが二人で切り盛りしていて、地元民の溜まり場的な中華そば屋なのですね。店の雰囲気も味のうち、古き良き昭和の味“屋台の中華”をゆっくり楽しみたいならココですね。

 

あくまでも正統、丸系の歴史ある中華そば(車庫前屋台から発展したお店)お勧め三選!! でも、ちとマニアックかも?!

 
アロチ 「丸高」

和歌山でもかなり旧い店となる。

アロチという飲み屋街にあり、酔っ払った客が最後の締めに立ち寄る。和歌山で一番有名な中華そばではないだろうか。営業時間によっては入れないこともある。厨房オヤジは“へんこ”だが、オバチャンは愛想がいい。

県庁前 「まるやま」

和歌山の小松原通りにある。

大きく赤い提灯が目印になる。車庫前屋台からこの地にあり、中華そばの伝統を守っている。そばは勿論だが、まるでドテ焼きのような「おでん」がお勧め!それらがセットになったメニューもある。

中之島  「まる豊」

一時期世にも珍しい傾いたラーメン屋wとの扱いで、度々マスコミに取り上げられ全国区扱いになった。昔の屋台中華そばの昭和風情を残した名店だったが、近年立退き問題から西の方へ移転した。新しい店は元喫茶店で、さすがに傾斜は無いなぁ。

参考/ありし日の(移転前)傾斜なお店の姿 「何だこれはっ~!!」と言いたくなる。

 


傾いたラーメン店「まる豊」、平らな新天地へ 別れ惜しむ客続々

 

上記三店↑いずれも長い歴史を積み重ねてきた名店ぞろいです。

選定はずしませんでぇ~!

では、「一番旨いラーメン屋は何処だ?!ええ、ど~ナノよそこんところはっ!! バン! バン!(←机叩く音)」なんて聞かれると困ってしまう。

それぞれに個性があり、それぞれが旨いンじゃない?としか言えない。

 

<和歌山システム> 知らないとかなりメン食らう、そば屋だけにっ!

 
①水はセルフサービスで。

お冷は客自ら進んで、冷水機に行き入れる。

暇な時は店員が持って来てくれるが、時分どきには店員は相手してくれないのだ。ボンヤリと席に座っている場合ではない!

 
②麺は「はや寿司」とともに。

「フォースとともに!」まるでスターウォーズみたいな。

中華そばと、はや寿司と、交互に食すのがディフォルト。酢飯の鯖が不思議と豚骨醤油スープとマッチングが良い。コレを是非お試しあれ。

※はや寿司とは、鯖寿司の一種。茹で卵と共に、テーブルに既に置いている。

また、おでんがサイドメニューにある。コレも自ら取って良いのだ。

 
③会計は自己申告で。

最後の会計はレジで、自分で申し述べる。

例えば→「中華と、はやと、タマゴ!」伝票システムであってもヤッパリ、聴かれるのです。なので聞かれる前に、進んで自己申告しましょう。

 

…店の外には屋台中華の証、赤提灯が揺れている。風情があるよね。

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考察してみよう“ラーメン”と“中華そば”とはそもそも別モノなのか? 呼び名の歴史的な差はあるのか。

 

🍜ご当地、屋台中華そばの歴史は…?

関西地方では比較的有名な和歌山の“中華そば”ではありましたが、1998年のTVチャンピオンで『日本一うまいラーメン決定戦』で和歌山市の井出商店が優勝したことで人気に火がついた。狂走曲の始まりだ! 井出商店の前に長い行列が出来るようになってしまった。
その後「新横浜ラーメン博物館」にも井出商店は出店し、更にマスコミがくり返し拡散したので→「和歌山ラーメン」としてのブランドがすっかり定着したのが、名前の来歴と言われています。

しかし、コレはいわゆる「井出系」と呼ばれる亜流中華そば(実は失敗作)の方なので、正統の中華そばではないのです。

とりあえず二系統あり、正統派→「丸系」と亜流派→「井出系」がある。

最近ではどちらでも無い「第三の麺」も増えてきた。

 

何だか少し、ヤヤコシイのですね。

 

過去、和歌山市立博物館の寺西貞弘(元)館長が「和歌山ラーメンの源流」というチョット面白い論文を書きました。

その起源を過去の数々の証言などを再検討し、中華そば屋台(これが丸系のルーツ)の多かった車庫前(和歌山市東高松周辺、東側の通り)の地理的条件などから日露戦争時の「歩兵第61連隊」との因果関係を推論したのです。

歩兵第61連隊は明治38年(1905年)に編成されて、日露戦争後に中国東北部の守備任務に約2年間あたったそうです。61連隊が駐屯していた中国東北部は有名な穀倉地帯であることから、彼らは其処で自由な生活を営みながら“現地の麺=中華麺”を食べていた可能性があるとしています。

そしてその後、彼らは日本に帰国し和歌山市車庫前に駐屯地を構えた。中国大陸で食べた麺の味が忘れられず、和歌山の湯浅醤油などの味とマッチした“中華そば”の誕生に一役買ったのではないか、と論文では結んでいます。

寺西氏の推論が正しいなら、歴史的にはかなり古いことになるが。ラーメン屋台の史料がある訳無いので、確定は出来ない。

 

🍜一方、ラーメンの名前の始まりは…?

 

どうも始まりは、北海道らしい。

ラーメン店舗(食堂かな?)では“支那そば”と名乗っていた。しかし北海道、函館のヤンチャな客層はソレを「チャンコロそば」と呼んだらしいのだ。

そのことを嫌った支那そば店主が、中国人のコックの「出来たよ~」の意「ハウラ~(好了)」という掛声から“ハウラーの麺”から短縮して→“ラーメン”という呼称が、生まれたという。(いくつか異説あり)それ以来北海道では、ラーメンの呼称が一般的に定着したという。サッポロラーメンのルーツと謂えるのか。

 

チキンラーメン(日清食品)が「ラーメン」を世にひろめたのか?!

 

いまや世界中で食べられているインスタント麺。世界初となる大発明は大阪池田の小さな実験小屋から産まれた。食文化さえ変えてしまった破壊力があった。

(興味ある方はチキンラーメンファクトリーの体験見学に参加されるとよい。体験会場は池田か横浜にもある。)

 


チキンラーメンファクトリーに行ってきました【がっちゃん】

 

その後、昭和30年代「チキンラーメン」の爆発的なヒットとCMにより、ラーメンの名前は全国的に拡がったのではないか。ただ、安藤百福さんが何故「ラーメン」を商品名に採用したのかは不明ですが。


※戦後「支那」という言葉は中国に対する侮蔑の意味として封印され、支那そばは「中華そば」と名前を変えた。戦前戦後にかけて支那そば(もしくは南京そば)」→「中華そば」→「ラーメン」の名称の流れがある。

 

人類は麺類、その歴史がいまも此処に流れている。 

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「中華そば専門店」と堂々と謳っている。

プライドが感じられる店構えだ。ほら、喰べたくなったしょ?!